私は私が大嫌いでした
ちょっと前までの私は、自分の事が大嫌いでした。
幼少期から自己犠牲こそが美しいというような教育をされた私は、自分というものが全くありませんでした。「自分の為になる事を考えてはいけない、人の為に生きる事が美しい。」と勘違いしていた私は、自分のためにする行動は、とてもいけないことのように思っていました。今思えばそれは自分の人生を生きていなかったということになります。何かを決める時、何かを思う時、そこに私の明確な意思はありませんでした。
例えば、何かを決める時、自分の気持ち、意思はまったく無視し、それが人の為になるか、あるいは人からどう思われるか、ということが重要なポイントでした。
私は幼少期からなんとなく生きづらいなと思っていました。私以外の人間はみんな笑ってる。幸せそうに見える。それが不思議でしかなありませんでした。
私と言えば何故か何をしても上手くゆかない。その原因を探るため、まずは自分を知ろうと思うようになりました。
「私は何者なんだろう?何がしたいのだろう?何が好きなんだろう?何が嫌いなんだろう?」
驚いた事に、私は自分が何が好きで何が嫌いなのか、何をしたいのか、どういう人間なのかということが全くわかっていませんでした。
わかった事といえば、私は自分の感情に蓋をし、自分の人生を生きていなかったのだという事。
私はそんな自分の事が大嫌いだったのです。
先に書いた「私は何をしても上手く行かない」原因は「自分の事がわからない自分が嫌い」という事にあるのでないか?と気がついたのです。
その事に気付いてからは自分を知ろう、自分を好きになろうと試行錯誤しました。
自分を知るという事
自分を知るという作業。最初はとても難しかったです。私の好きはなんだろう?考えても考えてもわからないのです。
ならば、私の嫌いはなんだろう?
と、ノートに書きだしてみました。
書いているうちに気が付いたのですが、嫌いを書き出すって、「蓋をしていた感情が動く」のです。
好きを書き出しても感情は動くのでは、と思いますよね?
「自分は何が好き?」って書き出す時、そこに「人からこう思われたいからこれが好き」という無意識な思いがあると、その「好き」は本当の好きではないのでは?と思います。
逆に嫌いな感情って誤魔化す事が難しいと思います。嫌いという感情はどんなに誤魔化してもモヤモヤが教えてくれます。
好きがわからなかったら嫌いを書き出す。私はこの作業でだんだん自分の事がわかるようになってきました。
自分の事を知る事で、今の自分のいる場所がわかるという事です。
私が何をしても上手く行かなかった原因の一つに自分の現在位置がわかっていなかったというのがあったのだと思います。
現在位置がしっかり把握できていなければ、行く先を設定する事は出来ない、「ブレてしまう」という事です。
自分を知れば自分を好きになる
嫌いをしっかりと書き出し視覚化させた事で、私の感情は動き始めました。
視野が広がったのだと思います。
少しずつ自分の周囲から嫌いを排除し、好きを集め始めました。嫌いからはなるべく離れ、好きを堪能するようにしました。
ご機嫌になれればご機嫌な出来事が増える
「好き」に囲まれていると気分が良くなります。私はご機嫌な時間が増えてゆきました。
するとご機嫌な出来事も増えてきたのです。
自分の事がよくわからなかった時の私はいつも不機嫌でした。
「こんなはずじゃなかった」
「なんでこんな目に遭う?」
その理由がわからない。そんな感情が雰囲気にも溢れていたのでしょう。
私はいつも不機嫌そうに見えたのだと思います。そんな不機嫌な雰囲気が溢れている私の周りに人や運が訪れるわけがありません。
私のご機嫌がよければ、私の周り人も機嫌がよくなり、ご機嫌な出来事がやってくる。この事に気づいてからは、私は益々自分の不機嫌になるものと距離をとり、今にいたります。
他の人から、外から満たしてもらおうとせず、自分で自分の心を満たすプロになればいい。
その為には自分を知らなくてはいけないと思います。
自分を好きになるメリット
自分を好きになりましょう。と書くとなんとなくいけない事のように思うかもしれませんが、自分を好きになる事のメリットはたくさんあります。
自己肯定感があがるのはもちろんですが、自分軸がブレなくなります。自分を信用することができるようになりますので、決断に迷いが生じたり、言いたい事を我慢するという場面が少なくなります。
また、自分良い部分を見れるようになりますので、周りの人の良い部分を見れようになれます。
「大好きな自分」で生きてゆきましょう