2014年祇園祭で復活した後祭の意味を考える | 西陣に住んでます

2014年祇園祭で復活した後祭の意味を考える

祇園祭(2014)

(★印は山鉾の位置 黄色:前祭、緑色:後祭 クリック拡大)



今年2014年の祇園祭から、

交通の混雑緩和のため1966年以来休止されていた後祭が復活し、

山鉾巡行が7月17日と7月24日の2回にわたって行われることになりました。


上の地図にあるように、

7月17日の前祭では、四条烏丸から反時計回りで烏丸御池へ

7月14日の後祭では、烏丸御池から反時計回りで四条烏丸へ

山鉾が巡行することになります。


7月17日の山鉾巡行の後、祇園八坂神社に祀られている

スサノオ、妻のクシイナダヒメ、そして子の八王子が神輿に乗って

四条寺町の御旅所に移動して(神幸祭)1週間テンポラリーに祀られ、

7月24日の山鉾巡行の後、神泉苑の南東にある御供社を訪れてから

八坂神社に戻る(還幸祭)ことになります。


さて、この一連の山鉾巡行・神幸・還幸の経路が

古来の経路と同一であったかというと、実は異なります。

その経路を示す前に、

もう一度、祇園祭の本来の意味について考えてみます。


以前に過去記事に書いたように、京都の祇園祭のルーツは

福山素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)にあります。

[祇園祭のルーツを探る-1] [祇園祭のルーツを探る-2]


西陣に住んでます-素盞嗚神社

西陣に住んでます-素盞嗚神社

(素盞嗚神社)


その信仰形態は「毒をもって毒を制す」というもので

日本神話の暴れ者のスサノオノミコトという毒をもって

世の中に疫病などの災害をもたらす怨霊

御霊(ごりょう:通常の霊)に変えてもらうというものです。


福山の素盞嗚神社のスサノオの神霊は神輿に乗って

姫路広峯神社に勧請されます。


西陣に住んでます-広峰神社

西陣に住んでます-広峰神社

(広峯神社)


京都の朝廷は、この広峯神社のスサノオの神威の評判を聞き、

876年、その神霊を神戸祇園神社を経由して京都に勧請しました。


西陣に住んでます-祇園神社

西陣に住んでます-祇園神社

(祇園神社)


スサノオの神霊は西国街道を通って平安京に向かいました。


祇園祭

そして羅生門から平安京に入って来ます。

[京都の祇園祭の起源をひも解く]


祇園祭マップ


恐ろしいスサノオの神霊を平安京に迎えるにあたって、

朝廷は非常に恐れたものと考えられます。


まずは、桂川をわたる手前の国中神社

スサノオの神霊を荒魂(荒々しい魂)と和魂(安らかな魂)に分けて

そのうち和魂のみを平安京に招き入れたものと私は推察します。

(ちなみに川や池などのは霊の侵入を防ぐと考えられています。)


西陣に住んでます-綾戸国中神社

(国中神社)


毎年この神社の氏子から選ばれる久世駒形稚児が荒魂を宿して

祇園祭に参加することによって、

祇園祭の期間中だけスサノオの魂を完全にするものと考えられます。


次に羅城門を通った神輿は、朱雀大路を北上し、

元祇園梛神社(元祇園社)に到着します。


西陣に住んでます-元祇園梛神社

西陣に住んでます-元祇園梛神社

(梛神社)


朝廷はスサノオの神霊がこの地にとどまることを恐れて

スサノオの神霊を鴨川の東岸に移しました。


当初朝廷は西天王社(須賀神社)・東天王社(岡崎神社)

祀ろうと考えたようです。


西陣に住んでます-須賀神社

西陣に住んでます-須賀神社

(須賀神社)


西陣に住んでます-岡崎神社

西陣に住んでます-岡崎神社

(岡崎神社)


最終的には、神威の発揮が最も期待できる祇園社(八坂神社)

祀ったものと考えられます。


西陣に住んでます-八坂神社

西陣に住んでます-八坂神社

(八坂神社)


このように、朝廷は「毒をもって毒を制する」のスサノオの毒の側面を

終始恐れていたものと考えられ、

このためスサノオの和魂を京都の外の祇園社に祀ったわけです。


前置きが長くなりましたが、

ここから前祭と後祭の過去の巡行ルートと意味を考えます。


昭和20年代以前の巡行ルートは次の通りです。


祇園祭マップ


ここで、前祭と後祭にわけてその宗教的な意義について考えます。



1前祭


前祭における山鉾巡行と神幸は旧暦の6月7日に行われていました。

まず山鉾巡行は四条烏丸から出発して

平安京の東端にある東京極通(現寺町通)を南に下がり、

五条通(現松原通)を西に向かうというルートを通りました。

一方、神幸はスサノオと子の八王子が大政所御旅所に移動し、

妻のクシイナダヒメは少将井御旅所に移動しました。


この一連の行事がどのような意味をもった宗教的行動であったか推察すると、

スサノオと八王子が一週間鎮座する大政所御旅所の周辺を

事前に山鉾が巡行して街の穢れを祓う意味があったと考えます。

京都の標高は北ほど高く、南ほど低くなっているため、

南ほど下水が集中することになり、

疫病のリスクが高くなっていたものと推察されます。

そのため、スサノオと八王子をまずはその重点警戒地域に移動させて

神威を発揮させるというシナリオを考えたのではと思います。


一方、クシイナダヒメについては衛生環境が比較的整った地域に移動させて

紳士を発揮させるというシナリオを考えたものと思います。

少将井御旅所付近には天皇の仮住居である里内裏が集中していて

毒をもったスサノオを近づけることは芳しくないと思われていたということも

予想されるところです。


西陣に住んでます-大政所御旅所

西陣に住んでます-大政所御旅所

(大政所御旅所)


ちなみに大政所御旅所と少将井御旅所の中点で

御供社の真東という特別な地に位置する六角堂

山鉾巡行の順番を決めるくじとり式が行われていたのは

けっして偶然ではないと思います。



2後祭


後祭における山鉾巡行と還幸は旧暦の6月14日に行われていました。

まず山鉾巡行は三条烏丸から出発して

平安京の東端にある東京極通(現寺町通)を南に下がり、

四条通を西に向かうというルートを通りました。

一方、還幸は、神泉苑の南に位置する御供社で

スサノオと子の八王子と妻のクシイナダヒメが会し、

八坂神社に戻るというルートであったことは容易に想像できます。


西陣に住んでます-八坂神社御供社

西陣に住んでます-八坂神社御供社

(御供社)


この一連の行事がどのような意味をもった宗教的行動であったか推察すると

まず山鉾巡行は、

下京と比較して穢れ祓いのプライオリティが低かった中京を

遅れて巡行したものと考えられます。


ここで、重要と思われるのは、

八坂神社→御旅所→御供社というルートにおいて、

男神のスサノオと八王子(八王子は女神3名を含みますが多数決で男・・・笑)

は左から回り、女神のクシイナダヒメは右から回っているということです。

実はイザナギとイザナミの国生みの時もこの流儀で神域を回りました。

おそらく私が考えるに、御供社への到着順は

スサノオ→クシイナダヒメ→八王子の順であったと想像します。

イザナギとイザナミの場合にも男が先で女が後、

そして子が誕生という順番になっています。

神社の参拝には以下の例のように確実に左→右→左の順が存在します。


(1) 神社を参拝する前に左→右→左の順番に手を洗う。
(2) 清めの塩を左→右→左の順番にまく。
(3) 神職が大麻(おおぬさ)を左→右→左の順番に振る。
(4) 切麻(きりぬさ)を左→右→左の順番に体にかける。


したがって、スサノオ・クシイナダヒメ・八王子の移動の方法も

これにならったものと思われます。

ちなみに、この流儀は左右左という順で進行する茅の輪くぐりにも

つながるものと考えます。



メモメモメモメモメモ



このような流儀が過去に確実に存在していたと考えられるにもかかわらず、

現代の祇園祭の神幸・還幸でこの流儀が踏襲されていないことは

残念でなりません。

何よりも時代の変化とともに古来の神事の精神が失われていくのは

非常に寂しいことです。


ただ、今回の後祭の復活は

古式ゆかしき伝統を復活させる第一歩になる可能性もあります。

山鉾巡行・神幸・還幸のルートを元に戻すことは

京都の大きな課題であると思いますし、京都だったらできると思います。

やはり、女人禁制の山鉾が、前祭で反時計回り(女回り)しているのは

よくないことだと思います(笑)



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