節分のレイラインを追いかける(2)
[前記事] では、出雲-三輪山間の節分のレイラインについて、
イザナギと崇神天皇のエピソードを交えて示しました。
本記事ではその他のレイラインについて考えてみたいと思います。
香取-葛城レイライン
香取神宮から大和の葛城山まで
上図のようなレイラインが存在している可能性があります。
ここで、香取神宮-富士山ラインと橿原神宮-葛城山ラインの
2つに分けて考えてみたいと思います。
まず、香取神宮から見た節分の太陽の日の入方位は
アマテラスを祀る東国の古社である東京・芝の神明社と富士山を通ります。
これは、香取神宮と神明社のそれぞれが
特別な日に富士山に太陽が沈むような位置に
意識して社殿を構えた可能性があります。
今でこそ節分の太陽がどこに沈もうと生活には影響はありませんが、
農耕を主たる職業としていた古代の日本において、
日の出・日の入の太陽の位置は農耕のスケジュール管理を行う上で
一大関心事であったと推察され、
節分という特別な日の太陽が富士山という特別な場所に沈むような
空間位置は大いに神聖視されていたものと推察されます。
さて、ここで香取神宮-富士山ライン周辺をもう少し詳しく見ると、
次の図のようになります。
香取神宮の東北方位にある鹿嶋神宮からも概ね節分の日の入りの方位に
富士山が位置します。また、この方位には江戸城が存在します。
富士山が水平よりも高い位置に見えることを考慮すると、
節分に富士山の真上に太陽が沈む可能性があるのは
むしろ鹿嶋神宮や江戸城ということができます。
事実、Google Earthでシミュレーションしてみると、
江戸城天守閣跡やや上空から見る限り、
確かに節分の太陽が富士山に沈んでいます。
東京オリンピックに関する[過去記事] において、
東京オリンピックを契機に江戸城を再建すべきと提案しましたが、
実はこのような節分の夕日をぜひとも見てみたいということが
発言の大きなモティヴェイションとなっていました(笑)
きっと大田道灌はこのことに気づいて江戸城の座取りをしたと思います。
さて、一方の橿原神宮-葛城山ラインを詳しく見てみます。
橿原神宮と葛城山を結ぶレイラインは天香久山も通過します。
天香久山といえば、日本神話の根源ともいえる国之常立神を祀っている
とともにイザナミの死に際して生まれた泣沢女神をふもとに祭っています。
国之常立神を祀る天香久山、神武天皇を祀る橿原神宮、
そして高皇産霊を祀る葛城山が節分の日の入の方位に並ぶ様は
日本のベースラインと言える重みを感じます。
ただ、香取神宮-富士山のレイラインの延長であるかというと、
その可能性は低いのではと考えます。
富士山は遥拝の対象となるランドマークであっても、
必ず上から目線となってしまう高度を考えると、
遥拝所としての要件は満たしていないものと考えます。
葛城山は高地であるため、太陽はその山頂に沈むことはありません。
実際に山頂に太陽が沈む様子を見ることができるのは、
橿原神宮の西北に隣接する畝傍山です。
いずれにしても古代の風景は
本当に美しく素晴らしい風景だったのではと想像してしまいます。
応神天皇の難波大隅宮から宇佐八幡宮を通って高良大社にいたる
神宮皇后と応神天皇母子に関連深いレイラインです。
難波大隅宮から見て大阪湾の左右には
神宮皇后が祀った神々が鎮座しています。
右手には廣田神社、本住吉神社、生田神社、長田神社、海神社が、
左手には住吉大社が位置します。
このレイラインについては、神功皇后にフォーカスオンして
また別の機会にしっかりと考察したいと思っています。
平安京
平安京に存在すると考えられる
平安京内裏-アマテラス・ツクヨミ・スサノオの
レイラインにつきましては、[過去記事] で詳しく示しました。
一つは安倍晴明邸から天皇が住む平安京清涼殿をのぞむレイラインで、
もう一つは過去の日本の中心であった京都御所紫宸殿から
その前に日本の中心であった平安京大極殿をのぞむレイラインです。
以上、節分の日の出・日の入方位に関連がある歴史的重要施設が並ぶ
いくつかのレイラインを紹介してきました。
はっきり言って怖いほど正確に各施設が位置しているのがわかります。
いつか、これらのレイラインを実際に見る機会があればと思います。