葵祭のルーツを探る-2 | 西陣に住んでます

葵祭のルーツを探る-2

西陣に住んでます-八咫烏神社



「葵祭のルーツを探る」の第二弾です。


[葵祭のルーツを探る-1]

[葵祭のルーツを探る-2]

[葵祭のルーツを探る-3]


前記事でも述べたように、

京都の下鴨神社に祀られている賀茂建角身命

八咫烏に変身して神武天皇を大和国まで導いたことが

古事記に記されています。


この賀茂建角身命とアジスキタカヒコネの関係については、

次の記事で示したいと思いますが、

賀茂建角身命は、葛城にしばらく住んだ後に

現在の京都に移住したと言う記録が残っています。


続日本紀 山城国風土記逸文

日向に降臨して神武天皇の東征にあたって道案内をした賀茂建角身命は、

山代河を下って葛野河と賀茂河の合流点に至り、

久我の國の北の山基に定住した。


以下、賀茂建角身命に関する葛城以外でポイントとなる個所を

順に説明したいと思います。



1八咫烏神社


西陣に住んでます-八咫烏神社


神武天皇の東征で大和の国への道案内として活躍したヤタガラスですが、

大和を目前とした宇陀にヤタガラスを祀った八咫烏神社があります。


拝殿奥には急な石段があり、


西陣に住んでます-八咫烏神社


こちらを登ると簡易な神明造りの社殿があります。


西陣に住んでます-八咫烏神社


ここでかなり気になったのが屋根の上の千木の形です。

西陣に住んでます-八咫烏神社


千木の上面が水平に切られていますが、

これは一般に「女神」の社殿を意味することが知られています。

ヤタガラス=賀茂建角身命が女神である可能性はなく、

大きな謎と言えます。


また、八咫烏神社も必ずしもヤタガラス=賀茂建角身命と考えていない

かのような↓記述が見られます。


西陣に住んでます-八咫烏神社


拝殿には、ヤタガラスが描かれた清酒が奉納されていました。


西陣に住んでます-八咫烏神社


また、すぐ横にはサッカーボールを頭に載せたヤタガラスの像がありました。


西陣に住んでます-八咫烏神社


これはもちろん日本サッカー協会のエンブレムにヤタガラスが使われている

ことによるコラボ作品と考えられます。


西陣に住んでます-ヤタガラス


ちなみに、ヤタガラスは三本足で、まさにサッカーがうまそうですね(笑)


西陣に住んでます-八咫烏神社



2生根神社


西陣に住んでます-生根神社


宇陀の忍坂と言う場所にある神社で、

古事記の神話に出てくるスクナビコナ(少彦名)を祀っています。

山が神体のため三輪の大神神社のように神殿がなく拝殿のみあります。


西陣に住んでます-生根神社


西陣に住んでます-生根神社


忍坂の地では、神武天皇が岩屋にいた土蜘蛛に対して

ディナーパーティーを開催し、

油断しているうちに破ったことが知られています。

岩にゆかりのこのあたりでの話ではないかと想像するところです。



3等彌神社

西陣に住んでます-等彌神社


この神社がある山が「鳥見山」と名づけられている点に

ヤタガラスとの関係が想像されます。


西陣に住んでます-等彌神社


神武天皇はこの山に霊畤拝所を創って天津神を祀ったと言われています。


西陣に住んでます-等彌神社



4岡田鴨神社


西陣に住んでます-岡田鴨神社


葛城を出た賀茂建角身命は木津川の畔の岡田の地を経由して

山城の国(京都)に向かったとされています。


西陣に住んでます-岡田鴨神社


賀茂氏はこの地に名を残し、現在は加茂と呼ばれています。


西陣に住んでます-岡田鴨神社


社殿跡と書かれた石碑が現在の社殿のすぐ横にありました。


西陣に住んでます-岡田鴨神社


西陣に住んでます-岡田鴨神社



6久我神社


西陣に住んでます-久我神社



賀茂建角身命は、加茂から山代河(木津川)を下って

葛野河(桂川)と賀茂河(鴨川)の合流点に至ったとされていますが、

その場所がこちらの久我であると考えられています。


西陣に住んでます-久我神社


葛野河の「葛(桂)」はもちろん葛城の「葛」を期限にしていると考えられます。


西陣に住んでます-久我神社


西陣に住んでます-久我神社


なお、高野川のことを葛野河として、葛野河と賀茂川の合流点と言うことで

賀茂建角身命が直接現在の下鴨神社に移ったような説があるようですが、

高野川=葛野河がどの出典によるものなのか不明で怪しいと思います。




・・・というわけで、賀茂建角身命は神武東征によって

宇陀から大和の国に入り、葛城に住んだ後、

加茂、久我の順に居を変えて、

現在の下鴨神社に移り住んだものと考えられます。

西陣に住んでます-賀茂氏移動マップ


次の第三弾記事では、第一弾、第二弾の内容を踏まえた上で

葵祭がいったい何のための祭であるのかを絞殺したいと考えます。