伏見稲荷大社ブレイクの謎
日本全国に星の数のようにある神社ですが、
その祭神によって、大きくは数十の系列に分かれます。
例えば、祭神が天照大神だったら神明神社系列、
祭神が大国主命だったら出雲神社系列といった具合です。
そんな神社の系列の中でも神社数が特に多いのが、
稲荷神社、八幡神社(八幡宮)、天神神社(天満宮)の系列で、
その中でも最大の稲荷神社は全国に3~4万社あるといわれています。
さて、稲荷神社の主祭神がお稲荷さん(稲荷神)であることを知ってる方は
多いと思いますが、お稲荷さんというのはあくまでもニックネームで
実名がウカノミタマであることを知っている方は非常に少ないと思います。
中には、お稲荷さんをキツネだと思っている方も多いかと思います。
以前の私もそうでした(笑)。ちなみにキツネはお稲荷さんの使いです。
このウカノミタマは、日本神話の中でも単に名前が紹介されているだけで、
必ずしもメインストリームにいる神ではありません。
そんなウカノミタマを主祭神とする稲荷神社が大ブレイクしたのも
稲荷信仰の発祥の地で稲荷神社の総本宮でもある
京都の伏見稲荷大社が朝廷に重要視されて大ブレイクしたことが
大きなキッカケとなったのは疑いようもない事実です。
この記事では、伏見稲荷大社がなぜそこまで大ブレイクしたかについて
ちょっとだけ考えてみたいと思います。
まず、伏見稲荷大社について日本書紀では
次のようなエピソードが紹介されています。
欽明天皇(聖徳太子の祖父)が小さいとき、夢の中で
「秦大津父(はたのおおつち)という人をヒイキにすれば、
将来うまいこと世の中を治められるでしょう」というお告げがありました。
そこで捜したところ、伏見の深草に秦大津父という人物が本当にいました。
即位後、欽明天皇はこの秦大津父を大蔵官僚として登用しました。
かなり調子のいい話ですよね。催眠術でもかけたのかもしれません(笑)。
秦氏は秦の始皇帝の末裔を名乗る帰化氏族で
今の京都の西部&南部に土着して栄えていました。
秦氏の天皇家との強いコネクションとサクセスストーリーは
この欽明天皇のころから始まったようです。
秦氏は、松尾大社、伏見稲荷大社を氏神とし、
聖徳太子の時代には、太秦(うずまさ:秦氏の本拠の意味)に
蜂岡寺(広隆寺)を創建しました。
桓武天皇の長岡&平安遷都も秦氏の協力が大きかったとされています。
その秦氏の中で、伏見稲荷大社に深くかかわっているのが、
秦伊呂巨(はたのいろぐ)です。次のようなエピソードがあります。
奈良時代のリッチマン、深草の秦伊呂巨は、
傲慢にも餅を的にして矢を射ったところ、
その餅が白い鳥に変身して飛び立ち、降り立った山の峰に稲がなりました。
(山城国風土記逸文)
和銅4年、秦伊呂巨は、元明天皇の命令を受けて
3柱の神をこの山の3つの峰に祀ったところ、その年は豊作になりました。
(伏見稲荷大社 社記)
この稲がなった山が稲荷山(伊奈利山)です。
食べ物を粗末にしてはいけないというテーマの話なのでしょう。
このとき、3つの峰に祀られた神というのが、次の3柱と言われています。
下社:宇迦之御魂大神(うかのみたま)
中社:佐田彦大神(さたひこ)
上社:大宮能売大神(おおみやのめ)
あまり聞きなれない名前だと思いますので簡単に紹介しておきます。
まずウカノミタマですが、
古事記で、スサノオと山の神のオオヤマツミ(大山祇神)の娘の
カムオオイチヒメ(神大市比売)の子として名前のみ紹介されています。
ちなみに、兄のオオトシ(大年神)が後でしっかりと紹介され、
母のカムオオイチヒメが別名でオオトシミオヤ(オオトシの親)と
呼ばれていることを考えると、ウカノミタマはかなり軽視されています。
また、日本書紀でも
イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産んだ子として
名前(倉稲魂尊)のみ紹介されています。
そんな神様が、日本で最も多い神社系列の祭神としてなっているのは、
なぜ?って思ってしまいます。
ここで、ウカ(宇迦)というのは、穀物の意味で
ウカノミタマは、御饌津神(みけつがみ)という別名を持っています。
御饌津神という別名を持っている神といえば、
気比神宮の主祭神で応神天皇から御食津大神と呼ばれたイザサワケと
丹波の比沼真奈井(籠神社)から伊勢神宮の外宮に勧請された
トヨウケビメ(豊宇気毘売神、豊受大神)です。
[先週記事]
で紹介したスサノオの香りがプンプンします(笑)。
また、実際にウカノミタマとトヨウケビメは同一視されていたりしています。
次に、佐田彦大神と大宮能売大神ですが、
それぞれ、サルタヒコ(猿田彦)とアメノウズメ(天宇受売命)
の別名とされています。
この二人の神は、[先々週記事]
で紹介したように
天孫降臨の時にニニギを高千穂まで案内し、
その後、伊勢に鎮座している神です。
というわけで、これらの神々のキャラを素直につなげると
次のような図式が考えられなくもありません。
トヨウケビメがアマテラスのオファーを受けて伊勢に行く途中、
その案内役を買って出たサルタヒコとアメノウズメといっしょに
伏見の地に降臨した。
あくまで私は、このトヨウケビメの移動は、
天皇の系譜の中にあるアマテラスの系譜(神武天皇/崇神天皇)と
スサノオの系譜(応神天皇)の習合の比喩と思ってますが[→先週記事] 、
その移動の途中、当時の奈良の都(平城京)にほど近い伏見の地で
ミケツの神が一度降臨した(させた?)のは、合理的であると思います。
奈良の都人が参拝するのに便利だからです(笑)。
そして、そのようにでも考えないと、記紀で名前しか紹介されていない神が
朝廷に重要視されて、日本で最も栄えている神社系列の祭神となった理由を
説明するのは難しいと思います。
もっとも、「背に腹は代えられない」という
穀物の神というステイタスも大きいかもしれませんし(笑)、
朝廷が平安遷都で秦氏から受けた恩を返した
ということも考えられなくもありません。
この謎については、今後も考えていきたいと思います。
さて、[京都の王城鎮護のバリアシステム]
という観点から見ますと、
伏見稲荷大社は裏神門にあたります。
(クリック拡大)
963年には、村上天皇によって巽(東南)の鎮護神と定められています。
なぜ穀物の神が王城鎮護しているのか納得いかないところですが、
やはりスサノオの子ということと、山の神のオオヤマツミの孫という
系譜が効いているのでしょうね。
とにかく、この稲荷山ほど岩や石が豊富な霊山は少ないでしょう。
伏見稲荷といえば、普通参拝するのは、
入り口近くにある本殿(→過去記事 [1] [2] [3] )ですが、この記事では、
その奥の稲荷山にあるオリジナルの伏見稲荷大社を紹介しま~す。
こちらが地図です。伏見稲荷大社って実はめちゃくちゃ広いんですよ~!
本殿から奥に進むと、有名な千本鳥居といわれる鳥居群が登場します。
山を一周して下に降りてくるまでずっとこのような鳥居が続くんですよ~。
↓こちらは奥社奉拝所と呼ばれる場所です。
山の中までいかないでこちらから山を拝むというものです。
鳥居の向こうにはこのような岩が置いてあります。
多分、大理石だと思います。この付近ではおそらく産出しないので
どこからか運んできたのでしょう。
この奉拝所には2つの燈篭が置いてあり、
その一番上の部分の石はおもかる石と呼ばれています。
おもかるいしを持ち上げたときに、軽いと思ったら願いがかない、
重いと思ったら願いはかなわないそうです。ちなみに私は、
自分を思考停止状態にして「軽い」と思いながら石を持ち上げました。
算段通り「軽い」と感じましたが、思考が停止していたため、
願うのを忘れてしまいました(笑)。
他に動物の像が載せられている岩がありました。
よく見ると火山岩の熔岩なので、かなり遠くから運ばれてきたのでしょう。
そして、ひたすら山を登っていきます。
すると、京都の南部を一望できる四ッ辻にでます。
ここには磐座を思わせるような岩盤が露出しています。おそらくチャートです。
ちなみにここに来るまでに結構ハーハーいいます(笑)。
この四ッ辻を基点に山をぐるっと一周します。
時計回りに回った場合、しばらくいくとまず御膳谷奉拝所に到着します。
ここには、ものすごい数の岩がおかれています。
伏見稲荷大社によれば、「往古はここに神饗殿(みあえどの)と
御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした」ということです。
つまり、このあたりで食事を作って3つの峰に奉納したのでしょう。
こちらは御釼社という神社です。
釼石と呼ばれる自然の巨岩の露頭があります。とても神々しいです。
そして、しばらく進むと山頂の一ノ峰にある上社に到着します。
こちらは、アマノウズメが降臨したとされる場所です。
結構いい運動になります(汗)。
建物の奥にはこのような巨岩が祀られています。
これは自然の露頭ではなく、どこからか運ばれてきたはずです。
これらの岩は神蹟と呼ばれています。
神が降臨して座った磐座(いわくら)の跡です。
こちらはサルタヒコが降臨したとされる二ノ峰にある中社です。
ここも建物の奥に神蹟がありました。
字が刻まれているので神が宿る神石ではないことがわかります。
ただ、磐座にしてはちょっと座りづらそうな気もしないではありません(笑)。
こちらは、間の峰の荷田社です。
そしてこちらが、ウガノミタマが降臨したとされる三ノ峰にある下社です。
同じように岩の神蹟があります。
ここをさらに進むと基点の四ッ辻に戻ります。
以上、伏見稲荷大社のオリジナルの神蹟をめぐりましたが、
その本質は、こういった磐座信仰に基づいていると思われます。
なお、下から全部めぐるには2時間くらいかかりますが、
かなり神々しい雰囲気を味わうことができる場所です。
さて、今回もスサノオの系譜が登場しましたが、
実はこの伏見稲荷大社のすぐ近くにある藤森神社という神社には、
スサノオ、応神天皇ファミリー、天武天皇ファミリー、早良親王、井上内親王
など、このブログによく登場する歴史上の人物一同が祀られています。
この神社については別記事で深く掘り下げて紹介したいと思います。