宇治の源氏物語観光のメイン
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源氏物語の宇治十帖に出てくる主な場所は
八宮邸と阿闍梨の山寺と夕霧の別荘です。
これらはいずれもフィクションなのですが、
それぞれ有力なモデルが存在します。
八宮邸=宇治神社・宇治上神社
帝位を巡るトラブルにあった八宮 [→橋姫参照]
のモデルとされているのが、
応神天皇の末っ子の莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)です。
応神天皇は、莵道稚郎子を天皇にすると決めて亡くなります。
ところが、莵道稚郎子は兄をさしおいて天皇になれないと考えます。
また兄は兄で父の決めたことに逆らって天皇になれないと考えます。
こうして3年間譲り合っているうちに国が乱れました。
そこで、莵道稚郎子は自殺して兄に帝位を譲りました。
天皇となった兄の仁徳天皇は
莵道稚郎子の邸宅跡に神社を創って手厚く祀りました。
これが、宇治神社と宇治上神社です。
この莵道稚郎子が自殺しなければ、あの世界一広い仁徳天皇稜は
建設されなかったことでしょう。
さて、宇治上神社は現存してるもっとも古い神社建築で、
世界遺産に指定されています。
建築時期は1060年頃といわれていて、すごく古いのですが、
1008年には存在していた源氏物語よりは新しいんですよね~。
阿闍梨の山寺=三室戸寺
八宮は娘たちに遺言めいたことを言ってから
こちらの宇治山にある寺にこもって亡くなりました[→惟本参照]
。
最初私は、この寺はかなり奥深い山にあるのかと思いましたが、
三室戸寺がモデルと知り、え~~~っと思いました。
八宮邸の宇治神社からせいぜい2km弱、歩いて30分もしない距離です。
けっして遺言めいたことを言うほど遠くではなく、かなり近いです(笑)。
夕霧の別荘=平等院
光源氏のモデルといわれる源融の宇治の別荘が、いつしか
同じように光源氏のモデルといわれる藤原道長の別荘になりました。
そして、藤原道長からこの別荘を譲り受けた息子の藤原頼通は
別荘を平等院という寺院に造り変えました。
10円玉の絵で有名な平等院は日本人だったら誰でも知ってますね。
宇治川を挟んで八宮邸の対岸にある
光源氏が息子の夕霧に譲った宇治の別荘といえばここしかないですね。
ここでのパーティーの音が対岸の八宮邸まで漏れていったんですね。
(続く・・・)