京都の眺望 - 平安京創生館 - | 西陣に住んでます

京都の眺望 - 平安京創生館 -

平安京創生館


千本丸太町をほんのちょっと西に入った丸太町七本松
[京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)] という施設がありますが、
この施設の一角に[平安京創生館] という展示場があります。

この展示場に入ると、まず最初に出迎えてくれるのが羅生門です。↑


そしてその先には・・・
平安時代の京都を再現する涙ものの見事な平安京復元模型があります。

平安京創生館

めちゃくちゃ精巧にできていて感動しました恋の矢


そして奥の壁には狩野永徳洛中洛外図屏風(上杉本)の陶板壁画が・・・
平安京創生館

現在ホンモノのブツ京都国立博物館[公開] されていますよ。
そして、[一休さん] の素敵なブログで紹介されています。


ココの展示物は本当に素晴らしいです!!
全国の皆さんもご存じのとおり不祥事続きの京都市汗ですが、
今回だけは税金払っててよかったなと思いました(笑)。


今日はこのうち平安京復元模型の上空から京都の眺望です。

以下、写真をクリックすると場所名が入った高画質画像がでます目
画像を見ながら読んでいただければと思います。


まず、羅生門から北の方を見ると、
朱雀大路(現在の千本通)を中心に東の街と西の街が
整然と線対称になっているのがわかると思います。

平安京創生館


そして少し高度を上げて眺めてみますと、東寺西寺がよくみえてきます。
現在、西寺はありませんが、東寺は健在です。

東寺五重塔は京都駅の近くにある、誰もが知る京都のランドマークですね。

平安京創生館


朱雀大路を北に上がっていくと、そこは上京大内裏エリアです。
まず、つきあたりには、日本の政治の中心だった朝堂院があります。
そして、その東北には天皇のプライベート・エリアである内裏があります。
さらに内裏の鬼門の方向(東北)には

怨霊からの内裏をの防衛に重要な神官が住んだ斎院があります。
この手前のあたりが現在の西陣で、陰陽師の安倍晴明が住んでました。
他にも源氏物語で有名な朱雀院や、神泉苑があります。
ちなみに、ここ平安京創生館は豊楽院(朝廷の宴会場)のあたりにあります。

平安京創生館


次に、二条大路を東に進んで行き着いた東山から西方を眺めます。
ここには白河上皇院政を行った一大拠点があります。
上皇が本気で院政をしていたのがわかります。
現在でいえば平安神宮周辺です。以前紹介したように[過去記事]
建物には青丹(青緑と赤)の色が塗られていることがわかります。
この中でも目を引くのが、高さが80mもあったという八角九重塔です。

平安京創生館


今度は、北山から現在の出町柳のあたりを眺めます。
高野川賀茂川が合流して鴨川となりますが、
この合流ポイントは糺河原(ただすがわら)です。
このあたりには現在も原生林がある糺の森(ただすのもり)と、
下鴨神社(正式名:賀茂御祖神社)があることはもうおわかりですね。
そして、桓武天皇の弟、早良親王の怨霊を抑え込んだ御霊神社
大内裏のこれまた鬼門の方向(東北)にあります。

平安京創生館


ここで少し西にすすんで北山から大内裏を眺めます。
手前には平安京の朱雀大路を決めるときの起点となった船岡山があります。
現在でも京都の人にとって一番親しまれている山ではないでしょうか。
菅原道真の怨霊をなだめて祀った北野天満宮もありますね。

平安京創生館


最後に西山から東方を眺めます。
写真の手前のあたりは現在の右京区ですが、

その昔から自然と共生していたことがわかります。
そして、この写真をみてもわかることなんですが、
二条大路が他の通りと比べてめちゃくちゃ大きいことがわかります。
その昔、京都の東西のメインストリートは二条だったんです。この模型を見て

歴代の二条城(現在のは四代目)が少々二条からずれていても
江戸時代に二条城という名前で一括りにされたわけがなんとなくわかりました。
「だいたい二条」城だったのではないでしょうか。

平安京創生館


以上、駆け足で眺めてきました平安京ですが、
できれば、1470年ころの室町時代の模型も見てみたいです。
造るのはそんなに難しくないはずです。
だって、[応仁の乱] で焼け野原になってしまったんですから(笑)。



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