「人工地震兵器」は存在する | 自分らしく生きるには「水」になれ!

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自然療法武術家 公式ブログ

Facebookの投稿より。

 

過去の投稿でも書きましたが、「人工地震」は確実に存在します。

 

人工地震自体は、地震波の伝わり方(縦波、横波)を測定することにより、学術的な地質調査に使われています。つまり、人工地震自体は秘密でもなんでもありません。

 

 

問題は、「人工地震兵器」です。

 

そもそも軍事上において重要な技術は、我々一般人には知り得ない極めて秘匿性の高い情報です。しかも、単純に数十年は先を行っているというのは過去の歴史からも明らかです。

 

太平洋戦争末期の1944年12月7日に昭和東南海地震が起こりました。この巨大地震のマグニチュードは7.9、最大で6メートルもの津波も発生しました。

この地震によって、愛知県半田市の中島飛行機工場、名古屋市南区の三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場が壊滅的な打撃を受けたのです。工場では、動員された学徒ら160名が亡くなっています。

 



アメリカ軍はこの地震の直後、B29からビラを撒きました。そのビラには毛筆で「地震の次は何をお見舞いしましょうか」と書かれていました。

軍部は、この地震に関し徹底した緘口令を敷いたため。日本国民は、この地震について知ることはなかったのです。

東北大震災が起こった2011年8月10日深夜、NHKは、昭和東南海地震のドキュメンタリーを放映しました。

タイトルは「封印された大震災〜愛知、半田〜」。

番組では、その当時アメリカ軍の撒いたビラを見た人の証言も収録されていました。

番組が放映されたその日の昼、番組を制作した元NHKのプロデューサー、五十嵐忠夫さんは、奥さんと共に自宅で遺体となって発見されました。

写真の新聞記事にあるように、日本はアメリカの人工地震兵器の存在を知っていたようです。

人工地震兵器は大戦中に研究され、すでに実用化されていました。

1950年代には、アメリカとソビエトは、お互い地震兵器を使用しないようにする条約を結びました。それは当然、お互いにとって危険だからです。

日本でも人工地震の研究は、戦前から行われていました。

1984年3月11日、東京都、神奈川県、東工大が共同で行った人工地震の実験で、想定以上の震度により新幹線のダイヤが乱れた、と新聞が報じています。

この実験では、多摩川の河川敷地下100メートル地点で300キロの爆弾を爆発させました。こんなに単純な方法で、震度4から5の地震が起きたのです。核兵器ならさらに大きな地震も可能でしょう。

 



ところが日本では1992年を境に人工地震に関する報道は一切なくなrました。それはある意味、兵器としての運用段階に入ったと見るべきでしょう。

以来、人工地震は存在しないものとされ、昨今ではその言葉を口にする者は、陰謀論者と呼ばれるようになりました。

近年、世界で起こる地震の数が、大幅に増加しています。世界的な活動期に入ったという話もありますが、人工地震の可能性も否定できません。
 

以下、国にも認められた、「地震・気象兵器」の可能性。国際政治・軍事上の常識。
https://www.youtube.com/watch?v=sfr6NoMEZYk
 

以下、人工地震の起こし方と仕組みの解説動画です。
video.fc2.com/ja/content/202