やはり、人生とは良くできています。実は苦しみの総量は同じではないかとさえ思えます。
例えば、若い時に十分に苦しみ抜いた人は、歳を取ってからは幸福な人生を送ることが多いです。
それは「幸福の境地」に達したからです。幸福とは人から与えられるものではなく、自分の中に存在すると気付いたからです。
お金でも地位でもなく、ましてや人と比較するものでもない。自分の心の安息の中に存在すると悟ったのです。
若い時の辛い経験がそのことに気付かせたのです。「若いときの苦労は買ってでもしろ」とはよく言ったものです。
本音では苦しみなんて受け取りたくないです。しかし、苦しみは受け切らないと逃れられないもののようです。つまり、幸福に気付けない。
そして、大切なことはただ一つ。それは感謝すること。少しコツがいります。例えば……
歳をとってから苦しかったら、それは若いときは順調だった証。感謝。
歳をとってから順調なら、あなたは苦しみを受けきって成長できた証。感謝。
いずれにせよ、最終的には同じ境地に立てるように出来ているようです。
もちろん、何事にも例外はあります。ですが、人は100%いつか死にます。これに例外はありません。
どうせなら、心の安息を得て、「精一杯生き、充実した人生だった」と穏やかに死を迎えたいものです。
苦しみの総量は同じであり、死は平等に訪れる。このことに心底気付いた時、私たちは人生という船の乗組員であり、人生という家の同居人だとわかります。
大嫌いなあの人も、心底嫌な奴も、みんな同じように苦しみ、戦っている。自分だって苦しい時は、誰かにとってきっと嫌な奴だったのです。
もちろん、好きになれとは言いません。ただ、同じシェアハウスの住民同士、いがみ合うのをやめればいいです。それだけで、かなりストレスは減ります。
大きな意味で、人は平等なのかもしれません。