宗教問題を考える | 自分らしく生きるには「水」になれ!

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初めに、宗教に熱心に取り組まれている方にはお叱りを受けるかもしれませんが、宗教を否定している訳ではありません。


実は、神や宗教は人間が発明した概念です。だからこそ、宗教ごとに神が何人も存在します。そして、神の存在が科学的に証明されることは永遠にないでしょう。


確かにそれぞれの宗教の教えは尊いものですが、宗教間で争ったり殺し合う必要はまったくありません。むしろ、あってはいけません。


それら
を行った時点で宗教とは言えません。もし本当に神がいるのなら、それをお許しになるでしょうか?


あくまで個人的な意見ですが、宗教とは世の理不尽さや無常さ、命のはかなさなど、人間の力ではどうにもならないことと、どう折り合いをつけるかという知恵だと思います。


その証拠に、世の中には神がいるとは到底思えないような凄惨な出来事が後を絶ちません。

 

 

また、宗教間の争いでは神そのものが争いの中心であったりします。


正しさや偉大さを証明するために、他の宗教を攻撃する必要はないのです。

 

 

なぜなら、どの宗教も同じように正しく、尊いからです。そこに優劣はありません。であれば争う必要などまったくないのです。



お互いの違いを認めつつ、お互いを尊重すればいいのです。その寛容さこそが宗教のあるべき姿のはずです。

 

 

仮に、他の宗教に攻撃されたとしても寛容を持って対処して欲しいと思います。


現在、宗教に対する純粋さや誤解から、様々な争いが世界各地で起こっています。

 

 

ですが、やられたらやり返すを繰り返しては、争いが争いを生む負の連鎖が続くだけです。


争いを断ち切る知恵こそが宗教ではないでしょうか?


それは病気にも言えることです。病気を憎んでも仕方ないのです。「何で私だけ…」と思う気持ちはよく分かります。

 

 

確かに理不尽な話ですが、それを超えた寛容さで包み込む知恵こそが私たちを救うのです。


その知恵を伝えるのが宗教の役割だと思います。