武道におけるイメージの力とは? | 自分らしく生きるには「水」になれ!

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中国に形意拳の流れをくむ「意拳」という流派がある。別名を「大成拳」と言い、その名の通り、武術の集大成という意味である。この意拳は日本にも伝わっている。


太氣至誠拳法、通称「太氣拳」


拳聖 澤井健一先生が、意拳創始者の王向斎の直弟子として中国で学び、日本に伝えた。


この意拳の最大の特徴は、いわゆる「型」がないこと。ただひたすらに立禅を続け、ただひたすらに「意念」を練り続ける。


あくまでも型は型であって、実戦で使えるとは限らない。いやむしろ、型にしばられた動きは相手に読まれやすい。


「型にとらわれてはいけない」という教えはどの流派にも伝わっている。型にとらわれ、臨機応変な動きができなくなるからだ。実戦ではまさに命取りになる。


型は覚えたそばから捨てるもの。捨てる勇気を持ったものだけが次のステージに上がれる。型は捨てるために覚え、捨てることで初めて使えるようになる。


意念とはイメージの力


ここに一つ重要な示唆がある。それは、イメージのパワーは計り知れないということ。


どんなに厳しく辛い修行を行ったとしても、この意拳で十分に意念を練った拳士に克つことは難しい。それこそがイメージの真の力だ。


人は型を行うと練習した気になる。繰り返すが、型が出来たからといって実戦で使えるとは限らない。型はあくまで型でしかない。むしろ、実戦で使えるように組み直す必要があり、多くの人はここで挫折する。


その点、この意拳には修行者をしばる「型」がない。初めから存分に実戦を想定した練習が行える。まさにコぺルニクス的転回と言えよう。


イメージの力を使えば、ありとあらゆる状況に柔軟に対応することができる。


 

意念を練れば、すべての現実は想定範囲となる。