こんにちは!
cocoroとカラダのメンテナンス かずぼんです(^^)/
1日雨の兵庫からです。
先日、オキナワ滞在中に師匠の治療院での癌の方のヒーリング治療に参加。
左の喉の腫れが「女性(この方の場合は母親)からの愛情の受け取りかた」がうまくできなかったってということを認めて、怖さからも解放されたとき、腫れは引きました。
あとは、今の気持ちを持続させて恐怖を手放すことで、回復に向かうのでしょう。
やっぱり病気は、心の闇が作り出し、私たちにいろいろなことを伝えてくれてるんだなーと実感です。
滞在中に垣花樋川(かきのはなヒージャー)というところに連れて行ってもらい、しばし瞑想。
私は涅槃像のごとく、寝転がって瞑想をしていましたが、とっても気持ちよかったです。
私が撮ったのより素敵な垣花樋川の写真をいただきました。
これーー!!!
クリックすると大きくなって、ボワンとした目に見えない何かを感じるかも
上の写真はハチさん
からいただきました♪
「 あと、もうちょっとなんだよね~~~ 」
これは師匠に言われた言葉です。
私、自分を「超える」まで、あともうちょっとの怒りがあるんだそうです。
オキナワ滞在中にいろいろと思い当たっていましたが、オットのことは些細なケンカで怒ることはありますが(笑)、精神世界特有の「怒り」ではありません。
では、誰に???
で、オキナワから帰ってきてから、ずーーーーっと左の肩、首、鎖骨が痛くてね
そのあと、首の筋を違えて、今は腰にきています・・・
その後、大阪でのヒーリングカウンセリングが開催されたときに施術に同席して、カウンセリングに来られた方のことをたまたま来られたのではなく、私のために、私に見せるために、目の前の人は自分だと思えるようにと必然に来られた方を目の前にして、自分のカラダの痛みの箇所と、自分の「怒り」についてずーーーっと考えていました。
そして最終日の学びの日。
最後に1人ずつ感想を述べるのですが、そのとき、誰に対しての怒りがようやくわかりました。
全員で20人ほどが集まりましたが、その最後のトリで話させていただくことになったのですが、涙声でうまく話せませんでしたが、ようやく伝えました。
私のもうちょっとの怒りは、両親に対するものでした。
そしてそれは特に「母親」に対するものだと確信しました。
(だって痛いのはヒダリだし左は女性や母親を表します・・・)
小さい頃から「あんたはダイジョウブ」と育てられた記憶しかなく、放任主義だった母は私には特に放任でした。
でもきっと母はそんな区別したことはないと言うと思いますが(笑)
そして他人には私がいる前で「この子を信用してるから」といつも言われてきました。
だから私は結構「キチンとしないと」とか「周りの人はどうしてる?」とか、「メイワクをかけないように、できることは自分でやる」みたいなところを持ってしまいました。
なので、いまだにそれは出てくるので、他人と自分をすぐに比べるとか、いつもいい子でいなくては!とか、「普通にしなくては」な感情がいつも私の中にあります。
そして、それがいろんなことを邪魔していることに気づきました。
あとは、幼稚園のころは、1人で園まで行くのがいやで妹に付き添ってもらったり、小学校では無理やりに友達の家とか親戚の家に強制的にお泊りをさせられて、すっごい寂しくて悲しい思いをしました。
別に家族べったりではなかったし、どちらかというと私は学校から帰ったらすぐに遊びに行って暗くなるまで帰ってこない・・・ような子でしたが、いざ、親から離れて寝泊り・・・となると、ゼッタイにいや!という子供時代でした。
強制的にお泊りに連れて行かされたことなどを許さないまま大人になり、いつしかそんなこともあったよな~~~あはは・・・と笑い話にしていて、思い出すこともなかったですが、ふと、その日もそのことを考えていたら、それが怒りだということに気づきました。
えぇ~~~~!?
私、怒ってる!?
もちろん、コラー!という怒りではなくて、根に持ってる恨みや怒りのほうですね。
それに気づいたときは、結構ビックリしました。
そしてそれを親にも話したことないので、きっと「そんなことあったっけ?」な感じで言われるとは思いますが、これはちゃんと面と向かって「伝える」ことで、その怒りを私は手放せるはず。
そう確信したのは、自分を愛して!のこの本の末巻の『許しのステップを実践するために』を読んだからでした。
この中で一番心に残ったのは、このフレーズです。
「あなたがある人を許すということは、その人の行為に同意するということではありません。
そうではなくてあなたがその人の行為の背後に潜んでいた気持ちをハートの目でみることができるようになったということなのです。」
そうなんです。
私は父と母が大好きなんですが、父と母が「したこと」に怒りを抱いているんです。
それを一緒くたにして見るから「私は両親があまり好きではない」となってしまっていたことに気づきました。
罪を憎んで人を憎まずというのは、このことだと思っています。
でも、子供は親が大好きなんですね。
期待を裏切ってはいけない!いい子でいよう!そうすれば愛してくれる!と思って「無意識に」そういう行動をして、それがだんだんと自分のエゴとなって自分の体を支配するのですね。
うわぁ~~~~~、まだまだ深いな~~~、この世の中は。
でも、日々、こういう気づきの中でいろんな感が敏感になっているのはわかります。
そしてうれしいことに空中にたま~~~にボワンとでてすぐに消える、紫やピンクのボールが最近は頻繁にでるようになってきたこと。
それは「OKよ!」というタイミングででてくれていると信じています。
実はこの記事を更新しているときにも、キーボードの端っこにボワーーンと♡
ウレシッ!