戦後77年になる。
東京の街はすっかりかわった。
ところが、現在コロナ禍のなかで、
世界の中の日本、岸田政権は、統
一教会はじめ国葬問題で内憂外患。
これは、戦前・戦中・戦後からつ
づいてきたこと。
東京の街の姿はかわったが、それ
でいて何もかわっていないという
のもあるようだ。
商工中金付近の東京の街
佐藤昭子「越山会の女王」
越後の冬は厳しく、どんな辛いとき
も、ふるさとは心を癒してくれるも
のだ。
そんなふるさとを田中は少年時代を
過ごし、そして私も小学校時代を送
った。
というわたくしこと佐藤昭は、その
後東京で、角栄の秘書となった。
目白にて勤務中の佐藤昭子(昭和33(1958)年10月)
佐藤昭子
佐藤昭子(1928-2010)は、新潟県
の寒村(現柏崎市)で生まれ、終戦ま
でに父母、きょうだい4人と死別する。
戦後女子専門学校(現東京家政大学)
に進学するが、東京大空襲で中退。
昭和21(1946)年衆院選に立候補
の田中角栄と出会い、選挙活動を手
伝う。
このときに田中を応援し演説した男
性と結婚。
そのときに息子を出産したが離別し
キャバレー勤務を経て、昭和27(
1952)年に田中角栄の秘書となる。
田中角栄と佐藤昭子
(映画『心の旅路』)
映画が大変好きだった角栄。
わたくしは秘書になりたての頃。
デートといえば映画館だった。
かれが最も感動したのは「心の旅路」
だった。
『心の旅路』はロナルド・コールマン
演じる男と、グリア・ガースン演じる
女を描いた名作。
第一次世界大戦中の後遺症で男(スミ
ス)は記憶を失い、入院先から街をさ
まよっている。
そのときに踊子(ポーラ)に助けられ
た。
その後男は転倒し、自分は実業家であ
った過去の記憶を取り戻し、女(ポー
ラ)のことを忘れてしまう。
そのあとポーラは財界でも活躍する男
(スミス)を発見し、身分を隠し秘書
として働くが、男の記憶は戻らず。
のちに議員になった男は「きみが必要
なんだ」と女に求婚する…。
というラブストーリだった。
角栄はスミスとポーラをわたしたちの
姿と重ねあわせたのだろうか。
「わかるだろう、お前なら、わかって
くれるだろう。俺にはお前が必要なん
だ」と、何度も私に言った。
以上『田中角栄 私が最後に伝えたい
こと』(佐藤昭子・平成17年10月経
済界出版)による。
女(秘書)と男(実業家のち議員)・『心の旅路』(1945年アカデミー賞)
佐藤昭子「越山会の女王」
この間昭子は、キャバレーの客の男性
と二度目の結婚をするが離婚を経験し
あたのち、昭和32(1957)年に角栄
との子・敦子を出産する。
田中内閣のとき、昭和49(1974)年
「文藝春秋(11月号」で、児玉隆也の
ルポ「淋しき越山会の女王」に載り、
佐藤昭の名を知られるようになる。
昭和51(1976年)角栄は「現在は陳
情の時代だ」といい、陳情によく応え
ていた佐藤昭。
角栄は派閥内に大蔵省・建設省など中
央官庁に顔が利く族議員を抱え、官僚
や財界人が永田町の砂防会館にある田
中事務所に押しかけていた。
ロッキード事件と佐藤昭子
昭和54(1979)年、ロッキード事件
で角栄が逮捕されたあと佐藤も東京地
検捜査部の事情聴取を受けた。
同年に佐藤は本名を昭から昭子に改名
する。
佐藤昭子と田中真紀子
昭和60(1985)年角栄が脳梗塞で、
政治生命を失うと、角栄の娘・田中真
紀子によって事務所は閉鎖され、早坂
茂三とともに田中事務所を解雇される。
原因は真紀子と佐藤側との深い対立関
係があったとされる。
佐藤昭子「政経調査会」
佐藤昭子は解雇後、自ら政治団体「
政経調査会」を主宰し活動する。
が、角栄とは一切会えなくなり、平
成5(1993)年角栄が死亡したとき
も対面はおろか、通夜にも葬式にも
行けず、翌年角栄との人生を綴った
「わたしの田中角栄日記 佐藤昭子」
(新潮社)を出版する。
また、彼女は旧田中派議員などの人
脈に連なり、政治資金を提供するな
どし、政界に、自民党木曜クラブ(
田中派)への影響力をもっていた。
若手議員の橋本龍太郎、小渕恵三、
羽田孜、小沢一郎らにとって姉貴ぶ
んであり、所属党派がわかれた後も
ママと呼ばれていた。
一時巨額資産を有していたが、資産
を預けていた高橋治則が、平成7(
1955)年に二信組事件で逮捕され
てから大半を失い、彼女の影響力が
低下する。
『私が最後に伝えたいこと』(平成17年10月経済界出版)
佐藤昭子は闇将軍・田中角栄の政治団体・
越山会の総括責任者などの要職を歴任し、
平成22(2010)年3月11日没、81歳。
参考(メモ)
昭和元(1926) 年
昭和2(1927) 年 田中義一(内閣、昭和4没)
昭和3(1928) 年 久原房之介(鮎川義介)
昭和7(1932) 年 満州国(「弐キ参スケ」)
(東条英機・岸信介・鮎川義介他)
昭和16(1941)年 第二次世界大戦「開戦」
昭和20(1945)年 終戦「敗戦」
昭和21(1946)年 東京裁判 吉田茂(政党内閣)
昭和22(1947)年 片山哲内閣
田中角栄(民主党)初当選
昭和23(1948)年 昭和電工事件(GHQ関与)
炭鉱疑獄10月
昭和25(1950)年 朝鮮戦争(~1953)
昭和26(1951)年 日米安保条約
昭和29(1954)年 吉田内閣(1948-1954)
自由民主党結成
鳩山一郎内閣(1954.12-1956)
昭和30(1955)年 自由民主党結成
昭和31(1956)年 赤線廃止
昭和35(1960)年 日米安保条約(改定)
池田勇人内閣(1960-1964)
昭和39(1964)年 佐藤栄作内閣(1964-1972)
昭和47(1972)年 田中角栄内閣(1972-1974)
昭和49(1974)年 三木内閣、児玉誉士夫「自伝」
昭和51(1976)年 ロッキード事件、福田内閣
昭和53(1978)年 大平内閣
昭和55(1980)年 鈴木内閣
昭和56(1981)年 「蜂の一刺」
昭和57(1982)年 中曽根内閣
昭和62(1987)年 竹下内閣
平成 元(1990)年 宇野内閣
平成 2(1990)年 海部内閣 角栄政界引退・越山会解散
平成 5(1993)年 細川連立内閣 角栄死去12.6
平成 6(1994)年 「私の角栄日記」(佐藤昭子)
平成16(2004)年 「熱情」(辻和子)
平成17(2005)年 「田中角栄」(佐藤昭子)
平成21(2008)年 鳩山由紀夫内閣
平成22(2010)年 菅直人内閣
平成23(2011)年 野田佳彦内閣
平成24(2012)年 安倍内閣
令和 2(2020)年 菅内閣
令和 3(2021)年 岸田内閣
令和 4(2022)年 安倍晋三(銃撃事件)
砂防会館(永田町)・国会議事堂・霞が関(各省)
2022.9.2
(越山会の女王)