戦後77年、東京の街はすっかりかわった。

敗戦から立ち上がった、世界の中の日本。

いま、岸田内閣はロシアのウクライナ侵攻、

統一教会の問題を抱え、内憂外患。

 

 

東京タワーより見る東京

 

戦前・戦中・戦後、この間を政界の黒幕・

児玉誉士夫が記す自伝。自民党結成にはじま

り、現在に結びついていくことになる。

 

<児玉誉士夫「日支事変」>

10月事件のあと4年半入獄し4月に出所。

同年日本塾(のち二月会に改名)に入党。

この年昭和12年7月。北支で盧溝橋事件が起

こり、戦火は日増しに拡大して、いわゆる日

支事変となった。「大亜細亜」誌を手伝う傍

ら、今泉定助(国学者)先生の講義を聴きに

いく。ここで笠木良明先生の紹介で河相達夫

(当時の外務省情報部長)氏と面談。その年

の暮れ東京を発ち、大陸にゆくことになる。

 

(児玉誉士夫「大陸(失われた軍規)」)

児玉はゆく。満州から北支那、そして中ソと

とどまるところを知らなかった。だが、この

眼、この耳でとらえた日本軍の実体は…。まさ

に百鬼夜行、奇々怪々だった。柳暗花明、売女

が酒席にはべり、享楽にうつをぬかし、我が世

の春を満喫。「これが生死を賭けての、日本民

族の荒廃浮沈を決定する聖戦か」と失望。急斜

面を転落しつつあった日本は少数の良識ぐらい

ではとめようもなかった。じぶんはあくる昭和

13年2月、日本に帰国。

 

(児玉誉士夫「日本塾→二月会」)

昭和13(1938)年日本に帰国後、これまでの

日本塾を、二・二六事件を記念する意味で、

二月会という名称にかえる。各所に演説をひら

き、機関紙を発行するが、われわれの必死の叫

びは、、天に向かってツバキすると同じで、軍

国主義的な大勢はどうにも抑えられなかった。

そこで、自分は二月会を解散させ、「大亜細亜」

誌の専念することとなった。

 

(児玉誉士夫「国家総動員法」)

「国家総動員法」は日支事変さなかの昭和13

年5月3日に公布されたが、大東亜戦争となる

におよんで、大幅に適用されることとなった。

 

<児玉誉士夫(1911-1984)>

昭和4(1928)  年   児玉誉士夫(天皇直訴・11月入獄)

昭和5(1930)  年  8月出所、11月急進愛国党入党(←建国会) 

昭和6(1931)  年  全日本愛国者共同闘争協議会(1931.3)

           錦旗革命(国会ビラ撒き・3月入獄)

昭和7(1932)  年  2月出所。五・一五事件、10月事件・入獄

昭和10(1935)年  (殺人予備罪4年6ヵ月判決・府中刑務所)

昭和11(1936)年  二・二六事件、4月出所、日本塾に入党。紀

昭和12(1937)年  大陸へ(満州・北支・中ソ。軍に失望)

昭和13(1937)年  帰国後二月会(旧日本塾改名)国家総動員法

昭和14(1939)年  参謀本部秘密命令(捧皇隊:汪兆銘)

昭和16(1941)年  東条英機内閣出現(10.17) 

           児玉機関誕生       

参考

昭和元(1926) 年

昭和2(1927)  年  田中義一(内閣、昭和4没)

昭和3(1928)  年      久原房之介(鮎川義介)

昭和4(1928)  年      児玉誉士夫(天皇直訴)

昭和6(1931)  年  満州事変、          

昭和7(1932)  年  満州国、「弐キ参スケ」東条英機・岸信介

           ・鮎川義介他)

           五・一五事件、十月事件

昭和11(1936)年  二・二六事件

昭和12(1937)年  首都・南京占領

昭和13(1938)年  国家総動員法

昭和16(1941)年  第二次世界大戦開戦

昭和20(1945)年  終戦

昭和21(1946)年  東京裁判

           吉田茂(日本自由党総裁・内閣)  

昭和23(1948)年  昭和電工事件(GHQ関与)

昭和23(1948)年  芦田内閣(1948.3-10)

           吉田内閣(第2-3次・1952)

昭和25(1950)年  朝鮮戦争(~1953)

昭和26(1951)年  日米安保条約

昭和29(1954)年  吉田内閣(1948-1954)

           自由民主党結成

           鳩山一郎内閣(1954.12-1956)

昭和31(1956)年  石橋湛山内閣(1956-1957)

昭和32(1957)年  岸信介内閣(1957-1960)

昭和35(1960)年  日米安保条約(改定)

           池田勇人内閣(1960-1964)

昭和39(1964)年  佐藤栄作内閣(1964-1972)

昭和47(1972)年  田中角栄内閣(1972-1974)

昭和49(1974)年  三木内閣、児玉誉士夫「自伝」

昭和51(1976)年  ロッキード事件、福田内閣

昭和53(1978)年  大平内閣

昭和55(1980)年  鈴木内閣

昭和57(1982)年  中曽根内閣

昭和62(1987)年  竹下内閣

平成 元(1990)年  宇野内閣

平成  2(1990)年  海部内閣 角栄政界引退

平成21(2008)年  鳩山由紀夫内閣

平成22(2010)年  菅直人内閣

平成23(2011)年  野田佳彦内閣

平成24(2012)年  安倍内閣

令和  2(2020)年  菅内閣

令和  3(2021)年  岸田内閣

令和  4(2022)年      安倍晋三(銃撃事件)

 

 

 国会議事堂(永田町)・霞が関・丸の内・皇居

 

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