戦後77年。日本は敗戦国となり、占領下

になる。世界の中の日本、岸田内閣は、

ロシアのウクライナ侵攻の長期化で、内

憂外患。日本は何処へ。

 

 

ビル街の東京の街(北西方面)

 

ロッキード事件で事件で姿を見せた、戦

後の政治を闇の中で操った児玉誉士夫。

戦前よりのかれの国家についての考え方

を知ることで、これを自伝よりみてみる。

 

<児玉誉士夫「短刀事件」>

昭和6(1931)年。

井上蔵相は、浜口内閣の金庫番で、少数の

権力者や財閥にくみして多数の国民をいけ

にえしていた。そこで一矢むくいて反省を

促すために「天下騒然たるの折、短刀ひと

にぎり進呈仕り候。ー護身用たると、切

腹用たると、ご自由にされ度く候」と文面

にそえて短刀の小包を送った。裁判の結果、

じぶんは実刑5ヶ月、田中近蔵くん3ヵ月、

津久井竜雄氏執行猶予つき3ヵ月。昭和7

(1932)年2月9日、じぶんは半年ぶりに

巣鴨刑務所から解放の身となった。

<満州事変と十月事件(錦旗革命事件))>

この間、外に於いては昭和6年9月満州事変

が勃発、10月に陸海軍の青年将校に民間

の同志をくわえた十月事件が国内に発生。

満州事変から建国に至る間、表面では関東

軍将兵の働きと同時に舞台裏で純粋な多数

背ねンのたましいの祈りがあったことを忘

れてはなるまい。起こるべくして起こった

事変。このあと錦旗事件が発生し、10月事

件は不発におわった。その日どりは10月4日。

近衛歩兵の十個中隊と機関銃隊はじめとした

歩兵三連隊など。民間側は大川周明・北一輝

の両派有志が合流して、首相官邸をはじめ、

陸海軍の両省と参謀本部などの重要機関を包

囲することにより外部との連絡を遮断するこ

となど…。而して国家機構ならびに組織の改

革と新編成を企画するも、決行の直前、この

計画が漏れ、首謀者がことごとく検挙され、

不成功に終わる。

あくる昭和7年満州事変の進展につれて、日本

国内は異常なこうふん状態にお追い込まれる。

 

 

自伝「児玉誉士夫」(昭和49年10月1日発行所広済堂出版)

 

参考

児玉誉士夫(1911-1984)

昭和4(1928)  年   児玉誉士夫(天皇直訴・11月入獄)

昭和5(1931)  年  8月出所、11月急進愛国党入党(←建国会) 

昭和6(1931)  年  全日本愛国者共同闘争協議会(1931.3)

           錦旗革命(国会ビラ撒き・3月入獄)

昭和7(1932)  年  2月出所。五・一五事件、10月事件入獄

昭和10(1935)年  (殺人予備罪4年6ヵ月判決・府中刑務所)

昭和11(1936)年  二・二六事件、4月出所、二月会に入党。

昭和14(1939)年  参謀本部秘密命令(捧皇隊:汪兆銘)

昭和16(1941)年  東条英機内閣出現(10.17) 

           児玉機関誕生  

       

 

「尊皇討奸」の旗を掲げ永田町占拠の決起部隊約1400名(二・二六事件)

 

 

昭和元(1926) 年

昭和2(1927)  年  田中義一(内閣、昭和4没)

昭和3(1928)  年      久原房之介(鮎川義介)

昭和4(1928)  年      児玉誉士夫(天皇直訴)

昭和6(1931)  年  満州事変、          

昭和7(1932)  年  満州国、「弐キ参スケ」東条英機・岸信介

           ・鮎川義介他)

           五・一五事件、十月事件

昭和11(1936)年  二・二六事件

昭和12(1937)年  首都・南京占領

昭和13(1938)年  国家総動員法

昭和16(1941)年  第二次世界大戦開戦

昭和20(1945)年  終戦

昭和21(1946)年  東京裁判

           吉田茂(日本自由党総裁・内閣)  

昭和23(1948)年  昭和電工事件(GHQ関与)

昭和23(1948)年  芦田内閣(1948.3-10)

           吉田内閣(第2-3次・1952)

昭和25(1950)年  朝鮮戦争(~1953)

昭和26(1951)年  日米安保条約

昭和29(1954)年  吉田内閣(1948-1954)

           自由民主党結成

           鳩山一郎内閣(1954.12-1956)

昭和31(1956)年  石橋湛山内閣(1956-1957)

昭和32(1957)年  岸信介内閣(1957-1960)

昭和35(1960)年  日米安保条約(改定)

           池田勇人内閣(1960-1964)

昭和39(1964)年  佐藤栄作内閣(1964-1972)

昭和47(1972)年  田中角栄内閣(1972-1974)

昭和49(1974)年  三木内閣、児玉誉士夫「自伝」

昭和51(1976)年  ロッキード事件、福田内閣

昭和53(1978)年  大平内閣

昭和55(1980)年  鈴木内閣

昭和57(1982)年  中曽根内閣

昭和62(1987)年  竹下内閣

平成 元(1990)年  宇野内閣

平成  2(1990)年  海部内閣 角栄政界引退

平成21(2008)年  鳩山由紀夫内閣

平成22(2010)年  菅直人内閣

平成23(2011)年  野田佳彦内閣

平成24(2012)年  安倍内閣

令和  2(2020)年  菅内閣

令和  3(2021)年  岸田内閣

令和  4(2022)年      安倍晋三(銃撃事件)

 

 

 国会議事堂(永田町)・霞が関・丸の内・皇居

 

2022.8.29

児玉誉士夫「天皇制護持と共産主義」ー新東京物語(82)