敗戦から77年。東京の街はかわった。

時代はうつりゆく。

世界の中の日本。岸田内閣は何処へ。

 

入獄・出所を繰り返した児玉誉士夫。

かれは即決実行、政界の黒幕として自

民党結党にはじまり、戦後の政界を操

ってきた。

 

 

東京タワーより見る東京

児玉誉士夫

児玉誉士夫は戦前の政党政治、政治家は

財閥と癒着し、官僚は贈賄事件で腐敗し

ている悪政で、反共産主義新たな国家主

義を掲げ、天皇制のもとで国家組織の改

造を目指した。

 

満州国(弐キ参スケ)

昭和7(1932)3月、日本は、清朝最後

皇帝・溥儀を執政とする「満州国」を

樹立する。 

満州に強い影響力をもった人物、「弐キ

参助」と呼ばれた5人がいる。その5人。

 

東條英機(関東軍参謀長)、 星野直樹(

院総務長官)、そして鮎川義介、岸信

(総務庁次長)、松岡洋右(満鉄総裁)

ある。

なかでも、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の

山口出身3人は満州三角同盟と称される。

 

 

満州全図(満州国)

 

五・一五事件(犬養内閣)

昭和7(1932)年、政友会の犬養内閣

のとき、世界恐慌(1931-)から回復

に向うなか。

天皇中心による国家改革を目指す血盟

団(日蓮宗僧侶・井上日召)による政

治家・財閥の暗殺事件があり、数か月

後海軍の青年将校らが首相官邸に乱入

し暗殺される。(1932.5.15)

 

東条英機(関東軍)

昭和10年、東条英機は、関東軍憲兵隊

司令官としてコミンテルン(国際共産

党)の影響を受けて活動する将校を多

数検挙し、軍内の赤化を防止。

二・二六事件では、関東軍内部の混乱を

収束させ、皇道派の関係者を検挙する。

 

久原房之介

久原財閥の久原房之助は鉱山王と呼ば

れ、鮎川義介(日産コンツエルンの創

設者で東条内閣の顧問)の義兄で、藤

田伝三郎の甥になる。

二・二六事件では、右翼に資金を提供

しこれに関与する。

 

 

「尊皇討奸」の旗を掲げ永田町占拠の決起部隊約1400名(二・二六事件)

 

二・二六事件

児玉誉士夫(二月党)

昭和11(1936)年。

児玉は4年6か月の刑期を終え、同年に

児玉誉士夫は出所する。

この年二・二六事件があり、二月党に

入党する。

児玉「雑誌社(大東亜)」

数年ぶりに出所。

先輩の馬場園義馬先生が出迎えてくれ

る。馬場園氏は笠木良明先生が東京で

出している雑誌「大亜細亜」の編集者

で、居が大亜細亜建設社本部で、じぶ

んは、この雑誌の仕事をすることにな

った。

昏迷の時代。愛国者、革命家というひ

とびとが、いかに国家と国民の前途を

うれえたか、局面の打開にあたったか

を記しておくべき責任があるとおもう。

 

児玉(悪政腐敗)

両事件(五・一五事件、二・二六事件)

の前者は海軍の青年将校が、後者は陸軍

の若い人たちが中心となる。

これを指導したのは大川(大川周明)博

士や北(北一輝)先生で、軍国主義や軍

閥勢力を助長するものでなく、このさい

政党と財閥の悪因縁をたちきり、すべて

の粛清をはかるためだった。

 

二・二六事件と昭和天皇(天皇大権発動)

決起部隊は約1400名、尊皇討奸、昭和

維新の断行を迫る。

蹶起趣意書には「所謂元老、重臣、軍閥

、官僚、政党等ハ此ノ国体破壊の元凶ナ

リ」。いまこの奸賊を討たねば日本は滅

びると、統制派軍閥が財閥と通じ、重臣

に取り入り官僚と結び、天皇を動かして

いる不義腐敗をはらい清めようというの

である。

これに裕仁天皇。激しく怒る。

純情かつ押し付けがましい天皇への忠誠

に。結果、鎮圧。

2月28日午前5時、戒厳司令官は捧勅命

令を受けて、すでに入京している各連隊

の兵と合わせて、戦車、飛行機、砲兵隊

を動員し反乱軍を包囲。

そのため反乱軍は戦わずして帰順する。

特設軍法会議にて命令下る。一審のみ

で13名の将校は銃殺。のち皇道派は一

掃され、北一輝は扇動者として銃殺され

る。

 

 

「勅命下る軍旗に手向かふな」(アドバルーン)

 

児玉誉士夫(二・二六事件)

児玉いう。

二・二六事件を転機として皇道派と統制

派の二つの軍閥の相克対立は苛烈をきわ

め、勢いの向くところ、国の外に向かっ

て爆発し、日支事変をもまた「蒋介石政

権を相手とせず」にいたらしめ、はては

勝算のほとんどない大東亜戦争に追い込

んだのであった、と記す。

 

 

 

児玉誉士夫(1911-1984)

昭和4(1928)  年   児玉誉士夫(天皇直訴・11月入獄)

昭和5(1930)  年  8月出所、11月急進愛国党入党(←建国会) 

昭和6(1931)  年  全日本愛国者共同闘争協議会(1931.3)

           錦旗革命(国会ビラ撒き・3月入獄)

昭和7(1932)  年  2月出所。五・一五事件、10月事件・入獄

昭和10(1935)年  (殺人予備罪4年6ヵ月判決・府中刑務所)

昭和11(1936)年  二・二六事件、4月出所、二月会に入党。

昭和14(1939)年  参謀本部秘密命令(捧皇隊:汪兆銘)

昭和16(1941)年  東条英機内閣出現(10.17) 

           児玉機関誕生       

 

参考

昭和元(1926) 年

昭和2(1927)  年  田中義一(内閣、昭和4没)

昭和3(1928)  年      久原房之介(鮎川義介)

昭和4(1928)  年      児玉誉士夫(天皇直訴)

昭和6(1931)  年  満州事変、          

昭和7(1932)  年  満州国、「弐キ参スケ」東条英機・岸信介

           ・鮎川義介他)

           五・一五事件、十月事件

昭和11(1936)年  二・二六事件

昭和12(1937)年  首都・南京占領

昭和13(1938)年  国家総動員法

昭和16(1941)年  第二次世界大戦開戦

昭和20(1945)年  終戦

昭和21(1946)年  東京裁判

           吉田茂(日本自由党総裁・内閣)  

昭和23(1948)年  昭和電工事件(GHQ関与)

昭和23(1948)年  芦田内閣(1948.3-10)

           吉田内閣(第2-3次・1952)

昭和25(1950)年  朝鮮戦争(~1953)

昭和26(1951)年  日米安保条約

昭和29(1954)年  吉田内閣(1948-1954)

           自由民主党結成

           鳩山一郎内閣(1954.12-1956)

昭和31(1956)年  石橋湛山内閣(1956-1957)

昭和32(1957)年  岸信介内閣(1957-1960)

昭和35(1960)年  日米安保条約(改定)

           池田勇人内閣(1960-1964)

昭和39(1964)年  佐藤栄作内閣(1964-1972)

昭和47(1972)年  田中角栄内閣(1972-1974)

昭和49(1974)年  三木内閣、児玉誉士夫「自伝」

昭和51(1976)年  ロッキード事件、福田内閣

昭和53(1978)年  大平内閣

昭和55(1980)年  鈴木内閣

昭和57(1982)年  中曽根内閣

昭和62(1987)年  竹下内閣

平成 元(1990)年  宇野内閣

平成  2(1990)年  海部内閣 角栄政界引退

平成21(2008)年  鳩山由紀夫内閣

平成22(2010)年  菅直人内閣

平成23(2011)年  野田佳彦内閣

平成24(2012)年  安倍内閣

令和  2(2020)年  菅内閣

令和  3(2021)年  岸田内閣

令和  4(2022)年      安倍晋三(銃撃事件)

 

 

 

 

 国会議事堂(永田町)・霞が関・丸の内・皇居

 

 

 

2022.8.29

児玉誉士夫「天皇制護持と共産主義」ー新東京物語(82)

2022.8.30

児玉誉士夫(錦旗革命「国家組織」)ー新東京物語(83)