甲府駅の身延線のホーム。
そのすぐ南側に石垣があります。
ここは甲府城の跡になります。
甲府といえば、武田信玄を思い浮かべる人も多いと思いますが、彼が統治していた頃はこの場所には城もなく、甲府の街の一番南の外れでした。
信玄の居館・躑躅ヶ崎館についてはコチラ…
この甲府城が建てられ始めたのは、武田家が滅んだ後になります。
一説によれば、家康が甲斐を手に入れたのが1582年。その翌年から築城を始めたと言われています。
ただ、家康が本格的な築城には手がけられず、1590年に家康が関東に移った後、浅野長政によって築城されたという説もあります。
ただ、関ヶ原の戦いの後は、甲府城は一門の居城となり、一時期、柳沢吉保が甲府藩として統治してはいました。
その後は、幕府の直轄領となります。
再建された鉄門(くろがねもん)
この石垣もその鉄門が建てられた時に修復されてはいますが、基本的な構造は建築当時のものです。
築城したのが、家康にしても浅野長政にしても、戦国時代も末期に建てられた城だけあって、
石垣も自然石そのままではなく、切り石が使われています。

甲府城の天守台
天守閣がこの天守台に建てられたのかどうかは分かっていません。
史料として、天守閣が建てられていたのを示すものが残っていないためです。
天守台だけ建てられて、天守閣が建てられないケースは他の城でも見られることはあります。
そのため、このこと自体は珍しいものではありません。
これは完全に推測ですが、
この天守台が、本丸でも江戸のある東側に付いています。
江戸時代に江戸の方面に天守閣を建てる理由があったのか、と言われると正直疑問です。
おそらくは、関ヶ原の戦いの前に家康か浅野長政によって建てられた縄張りをそのまま使っていたのではないのか、と勝手に思っています。

天守台の北側
すぐ近くに甲府駅が見えます。
甲府駅の北側にも一部城の遺構が残っています。
城を貫通するように中央本線が通されたのです。
こちら側に甲府の街が武田信虎・信玄の時代からあった訳です。
甲府駅の周りは比較的高い建物が建っているだけに、残念ながら遠くまでは見えませんが。
現在のように復元されたのは、平成になってからのことです。
さっと見て回るだけなら、15~30分程度もあれば十分です。
ただ、甲府駅からすぐの場所なので、歴史好きなかたは武田神社(躑躅ヶ崎館)と併せて巡ってみてはいかがでしょうか。
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