甲斐国(山梨)の甲府と言えば、戦国時代に武田信玄の本拠地だった所です。
風林火山の旗印が有名で戦が上手かったのもあるのですが、
治水・金貨鋳造・甲州法度次第など民生面でも非常に優れた大名でした。
それ故に、甲府駅の前には銅像が建っているくらいです。
その武田信玄の甲府の居館が、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)として知られています。
現在は、その場所に武田神社が建っています。
甲府駅の北側のバスターミナルから30分に1本、武田神社までバスが出ています。
バスならば数分程度で、片道150円で武田神社の前に到着します。

石垣を少し切り通して神社の入口ができています。
ご覧のとおり、武田神社の周囲には堀がめぐらされています。
ただ、この神社の入口、実は元々の正面ではありません。
武田神社の東側にも入口があります。これがその場所の写真です。
ここが大手門のあった場所で、正面の入口だった場所です。

躑躅ヶ崎館の東側も堀と土塁とがめぐらされていました。
武田神社のあった場所が中心となる館のあった場所です。この東側の一帯がその手前になります。
ただ、少し以前、中世の武士の居館のような造りで、本格的な城ではありません。
実際に信玄の時代に攻め込まれるようなことはありませんでしたが、
北の背後の山の方に要害山城と呼ばれる山城があって、緊急時にはそちらに立て籠もることもできるようになっていました。
信玄が生まれたのも、この要害山城だと言われています。

武田神社の鳥居の辺りから南を見てみると、ご覧のとおり、真っ直ぐ道が伸びています。
このように東西南北に通りを整備して街づくりをしたのは、ここを本拠地とした信玄の父・信虎の時代からです。

武田神社前のバス停の近くあった案内板です。
古地図と現在の地図とが並んでいます。
これを見ていると、山本勘助・春日綱虎(高坂昌信)・山県昌景といった、
武田信玄の有名な家臣がどこに住んでいたのか分かります。
武田家で推しの武将がいましたら、実際に現地に行ってみてもいいかも知れません。

2021年が、武田信玄の生誕500年ということで、甲府市内に色々展示が出ていました。
例えば、甲府駅の構内にこのような一角ができていました。
武田信玄の生涯やその足跡、山梨の見どころを展示しています。
ここで簡単に…とはいかないですね、生涯だけ見ても結構ボリュームのある展示でした。
中を見られていないので、どのくらいの時間が必要なのかは分かりませんし、どのような展示があるのかは正直わかりません。
ただ、武田神社に行くような戦国時代のファンであれば、行ってみたいと思う場所かとは思います。
ここは次回訪れたいと思っています。
戦国時代のファンであれば、武田神社を起点に、きっと色々と想像ができて甲府市内を楽しめるかと思います。
この記事がその助けになれば幸いです。
【 電子書籍 Amazon Kindle発売中 】
いずれも kindleunlimited(読み放題)の対象です!
「京都観光のいろは」
京都観光のお得なパス、スケジュールの組み方など
元旅行業者×京都在住の私がお答えします
鉄道唱歌でめぐる沿線写真集 関西編(上) 大阪~伊勢めぐり編
JRでひと筆書き 途中下車の旅 京都発着 京都~金沢~東京~京都
<トラベルライターとして活動中>
国内外の現地情報、旅行手配、歴史、外国語を軸に、
記事執筆&講演活動をしています。
<よろしければアメブロ・SNSのフォローどうぞ>
ツイッター
メインアカウント / 旅行・歴史アカウント / 外国・外国語アカウント
<個人事業主様向けに文章書いています>
プロフィール作成、仕事・紹介文の作成、リライト承っています。