江戸時代の京都を支えた高瀬川 | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。



京都市内中心部の木屋町通沿いを流れる高瀬川。

そこを三条通から10分弱北へ上がると、その一番上流に当たる「一の入船」のあった場所に着きます。

 

ここに酒樽を積んだ舟がありますが、政府の「禁酒法」に対抗して密輸…とかではありません。

この高瀬川は江戸時代以降、京都の物流を支えた命綱だったのです。

 

というのが…

 

この高瀬川をずっと下流にたどっていくと、「伏見」まで繋がっていて、そこから宇治川・淀川と繋がっているのです。

 

 



伏見での高瀬川の合流点がここになります。先ほどの十石船の遊覧でも通る箇所です。


大阪から宇治川・淀川で運んで来たモノを伏見で積み替えて、高瀬川で京都市内の中心部まで運んでいた訳です。

伏見と言えば酒蔵が多数あるため、そのお酒も市中に運ばれていました。


 

今の河原町の辺りなら、鴨川もある…と言いたい所ですが、残念ながら鴨川は水運には不向きなのです。

というのも、水運に使うにしては流れが急です。

実際、三条大橋のあたりもこのように結構水位差があります。

 

だから、江戸時代初期に、角倉了以(すみのくらりょうい)によって高瀬川が開削された訳です。


それ以前は、北陸方面の積荷は一旦敦賀で降ろされ、琵琶湖経由で大津・坂本から山越えで運んでいた訳です。

 

もっとも水運が活躍したのも昭和初期まで。

それ以後は、鉄道・自動車と主役が変わっていきます。



ただ、江戸時代でも京都が50万もの人口を支えられたのは、ひとえにこの高瀬川があったからです。

 

 

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