京都市内中心部の木屋町通沿いを流れる高瀬川。
そこを三条通から10分弱北へ上がると、その一番上流に当たる「一の入船」のあった場所に着きます。
ここに酒樽を積んだ舟がありますが、政府の「禁酒法」に対抗して密輸…とかではありません。
この高瀬川は江戸時代以降、京都の物流を支えた命綱だったのです。
というのが…
この高瀬川をずっと下流にたどっていくと、「伏見」まで繋がっていて、そこから宇治川・淀川と繋がっているのです。

伏見での高瀬川の合流点がここになります。先ほどの十石船の遊覧でも通る箇所です。
大阪から宇治川・淀川で運んで来たモノを伏見で積み替えて、高瀬川で京都市内の中心部まで運んでいた訳です。
伏見と言えば酒蔵が多数あるため、そのお酒も市中に運ばれていました。

今の河原町の辺りなら、鴨川もある…と言いたい所ですが、残念ながら鴨川は水運には不向きなのです。
というのも、水運に使うにしては流れが急です。
実際、三条大橋のあたりもこのように結構水位差があります。
だから、江戸時代初期に、角倉了以(すみのくらりょうい)によって高瀬川が開削された訳です。
それ以前は、北陸方面の積荷は一旦敦賀で降ろされ、琵琶湖経由で大津・坂本から山越えで運んでいた訳です。
もっとも水運が活躍したのも昭和初期まで。
それ以後は、鉄道・自動車と主役が変わっていきます。
ただ、江戸時代でも京都が50万もの人口を支えられたのは、ひとえにこの高瀬川があったからです。
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