昨日に続き、奈良県内を巡っていました。
奈良の橿原(かしはら)と言えば、一番有名なのが「橿原神宮」(冒頭の写真)。
神武天皇が即位したと言われる「橿原宮」があったとされる場所です。
ここは、近鉄の橿原神宮前駅もあるため、アクセスも良く、非常に有名な場所です。
今回の予定だと、JR・畝傍駅(うねび)の駅舎を撮ってから、橿原神宮、その後も2か所ほど行こうと思っていたのです。
その畝傍駅は、すぐ近くに、近鉄・八木西口駅があり、そこまで歩いていけば、すぐに橿原神宮に向かえたのもあります。
しかし、その道すがら看板で気付いたのが、歴史的な建物の残る「今井町」が、その八木西口駅のすぐそばにあると。
その風景がこちら…
周囲には堀があり、入り組んだ通りに古い街並みが残っているのです。
この今井町に着いた時点では、全く気付いていなかったのですが、歩いているうちに、ここが寺内町だと気付いたのです。
実際、町の案内図を見ると、そんなことが書いています。
「寺内町」(じないちょう)とは、室町時代に浄土真宗など、特定の宗派の人たちが集まって作った町のことです。
金沢(尾山御坊)・大坂(石山御坊)は非常に有名です。
和歌山にある「御坊市」に至っては、寺内町由来の町で、市の名前にまでなっています。
宗派は浄土真宗に限った話ではないようですが、この今井町は浄土真宗の信徒の人たちが集まっていた場所です。
室町時代は、自分たちを保護してくれる権力なんて脆弱で、自分たちで身を守る必要がありました。
信徒が集まって、権力者や野盗の類に対抗するために、集落の周りには堀がめぐらされ、自治権を確立していったのです。
だから、寺内町は大勢力と対立することも多々ありました。
特に、石山本願寺(石山御坊)を中心に、浄土真宗の宗徒は織田信長に政治的に対立していました。
そして、今井町もまた信長に対して抵抗することになります。
信長に降伏した後は、経済が大いに発展。
大和で一番経済的に発展した街として、戦国時代~江戸時代は知られることとなります。
今でこそ、近鉄の駅は比較的近くにありますが、明治時代に構築された鉄道ネットワークの幹線からは多少離れた場所にあったこともあって、街並みがそのまま残っている街区となったようです。
今回は、30分ほどさっと見てきただけですが、江戸時代以前の建物の雰囲気が残る所です。
それだけに、歴史が好きな人であれば、きっと気に入ることでしょうし、見るべきものも多いかと思います。
今回はたまたま見つけただけですが、また改めて時間を作って見に行ってみたいと思います。
京都・大阪からであれば、近鉄の大和八木(奈良)から1駅だけなので、アクセスのしやすい場所ですしね。
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