「堺」という街、非常に有名な文化人が2人います。
それもあって、「さかい利晶の杜」という記念館が、宿院駅のそばに建っています。
1人は千利休、1人は与謝野晶子。
2人とも居を、今の阪堺電車の宿院駅の近くに構えていました。
特に千利休の邸宅跡は、「さかい利晶の杜」のすぐ隣にあります。
阪堺電車自体が、大阪から和歌山方面に抜ける南北の街道を走っています。
その中でも、宿院駅の一帯は、堺でも中心にある場所だったようです。
このような文化人が堺で生まれた背景としては、
歴史的に堺が経済が潤っていたことが外せない要素なんですね。
(写真:堺伝統産業会館より)
堺は鉄砲や刀の産地としても、戦国時代には非常に有名でした。
その鉄砲や刀は戦国時代には日本各地に売られて、堺に莫大な富をもたらしました。
経済力を背景に、大名などの外部勢力の干渉を防ぎ、商人たちで自治を行っていました。
その独立性を守るため、街の周囲には環濠が張りめぐらされていました。
その環濠の跡が今でも一部残っています。
(写真:阪堺電車・御陵駅近く)
戦国時代には、その交易の利を得るために、各勢力が堺の商人の力を上手く使おうとしていました。
例えば、畿内の大大名だった三好長慶も、
鉄砲をいち早く導入した織田信長も、
この後を継いだ、秀吉・家康もそうでした。
そのため、400年余り前の大航海時代のヨーロッパ人の地図や記録を見ても、
「Saccai」と記述が残っているくらいだったのです。
その堀を市内に張りめぐらせた様子から、
ヨーロッパ人の間で、堺は「東洋のベニス」とも呼ばれていたようです。
江戸時代中ごろからは、水運の主役は大阪に移っていきますが…
今でも、包丁など堺の刃物は有名ですし、
織物やお香など色々な工芸品が堺で作られて、各地に売られていた訳です。
だから、時代が下って明治時代になっても、
文化を支え得るだけの経済力を保っていたと言えるのかも知れません。
これは与謝野晶子の生家だった、和菓子屋・駿河屋を再現したもの。
駿河屋があった跡地にはこのような記念碑もあります。
彼らの活躍の土台には、堺の経済的基盤という要素を見逃すことができないのです。
その往時の繁栄の様子を伺えるものが、阪堺電車の宿院駅の近辺には、痕跡として残っているのです。
「さかい利晶の杜」の展示、結構まとまっています。
興味ある方は、一度行ってみてもいいかも知れません。
ここからは、南海の堺駅・堺東駅へのバスもありますし、
週末だけのようですが、仁徳天皇陵(大仙陵古墳) への急行バスも走っているようです。
<さかい利晶の杜>
アクセス:阪堺電車・宿院駅 徒歩2分
入場料: 大人・300円 高校生・200円 中学生以下・100円
※他に茶の湯体験もあるようです。
(2019年11月現在)
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