日本海を通じて文化が伝わった? 出羽三山を開いた蜂子皇子 | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。


 
左:羽黒山 右:湯殿山
*月山は雪のため登れず



東北の修験道で有名な「聖域」である、出羽三山。

その中でも、羽黒山と、湯殿山をめぐってきました。

出羽三山
http://www.dewasanzan.jp/


拠点となるのは、城下町としても有名な鶴岡になります。


私が気になっていたのは、「出羽三山」を開山したと言われている「蜂子皇子(はちこおうじ)」についての来歴なのです。


1400年ほど前、聖徳太子が生きていたと言われている頃の話なのですが…

「蜂子皇子」の父・崇峻天皇が、蘇我馬子によって、殺されます。

その戦乱の難を逃れるために、京都府の北部・丹後の「由良」(ゆら)から、
この鶴岡の「由良」(ゆら)まで航行してきたとのことです。

そして、開山と共に、出羽の土地に文物を伝えた…と言われているんですね。

日本海を経由して、古代に文物が広がっていったことを感じさせる由来のある神社は、
日本海側にはいくつかあるんです。

例えば、
・丹後(現京都府)・宮津の「籠神社」
・能登(現石川県)・羽咋の「氣多大社」
・越後(現新潟県)・弥彦の「彌彦神社」


…といった具合に。

これらは別に蜂子皇子が関わったわけではありません。
しかし、いずれも海から来た「人たち」が、農業など何らかの文物をもたらしてきたという由緒が伝わっているのです。
しかも、仏教が完全に広がってしまう前に、渡ってきたという話なのです。
 

そのように考えると、日本海を通じて人々が交流し、文化が広がっていった。そんな跡が見られるだけに面白いと感じるのです。

 

中央から難を逃れてやってきた蜂子皇子が、この庄内の地で何を思っていたのかを図り知るには、残念ながら材料が少なすぎます。

 

 

ただ、その彼がいたこの地は、心身を整えるには非常に雰囲気のいい場所です。

修験道の聖地とされているだけに、日本古来の何かを感じさせる雰囲気がここには残っています。

 

元気なうちに一度は訪れて欲しい場所の1つだと、私は思っています。

 

 

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