(つづきです)
自己循環機能もそうなんですが、干合相手に執着したのは、やはり干合支合の機能を”人物”で使ったからだと思います。
私の宿命には、天干(精神)に干合する干がありながら、地支(現実)に肝心の干合干がない
人物でつかうと、正着できないことになり、探しつづけることになります。(私の場合)
ここにも自己循環のループに入りやすい特徴がありました。
つくづく実感するのは、干合の機能に人物を入れるもんじゃないってことです。でも、本当の使い方に気づくまではどうしても異性を入れてしまうものなのでございますオネガイコレモクンレンダッタトイワセテ
気の変化を追ってみたいと思います。
私の日干は「庚」なので、干合相手は年干の「乙」なります。
干合の干は、星にすると庚→乙で司禄星、人物にすると配偶者になります。
天干は精神の気なので、精神、頭の中にはいつでも相手がいることになります。
いつでも相手がいる、言い方が下手ですね~スミマセン
異性、配偶者のことを考えることに、違和感がなく、司禄星は陰陽和合する干から出来る主観星&剋線なので、自分から相手を取りに行く、それも無意識に、ということになります。
その干「乙」にある人物を入れると、、、、頭の中は無意識にその人のことばかり考えるようになります。
まぁここまではいいのです。
ホントはそんなに良くはないけど、まぁ良しとしましょう
そうなると次は、流れとして、実際にその相手が欲しくなりますね。
それなのに、下の赤い点線の中(地支)、私の現実の中にはその相手「乙」がいません。
例えば、実際に配偶者なり彼氏なりがいたとしても、その人たちは「乙」ではない。
彼氏なら年支の「丙」車騎星に、配偶者なら日支の「庚」貫索星に入るのですが、いづれにしても、非和合の客観星で、意識が入ります。
意識する、、、要するに違和感です。
算命学では「幸せ=無意識」です。。。
あたまの中の彼氏には違和感ない(幸せ)のに、現実では違和感、、、(何と悲しい事実)
そうなると、どうなるか、
なんとかしなきゃ → なんとかしたい、となって、
本来は危機管理機能である干合が、頭の中と現実のズレを見つけて、それを危機と判断し、出動してしまうのです
危機を感じると変化して対処に当たるのが干合の機能です。
庚×乙 → 庚は変わらず、乙が「辛」に変化して、庚辛連合を組み、一体となります。一体となると、本体「庚」は「辛」に乗り移ることができるようになりますので、「辛」として別自我(石門星:もう一人の自分)を生きることができるようになります。
「辛」になることが出来ると、その干合相手干の「丙」が地支に現れます
その相手(彼氏)といる時、多分ほぼほぼ、この状態をキープしていたのではないかと、思います。
ただ悲しいことに、「辛」も「丙」も、「実」ではなく、あくまでも「虚」の存在。
宿命に辛の石門星があれば別ですが、あくまでも干合変化で、一時的に現れる虚像でしかないので、誰かほかの人が一緒にいたり、長時間になったりすると、干合が解けてしまい、元の「庚」に戻ってしまいます
そうなると、途端に違和感となり、それが危機感となって、暗合を誘発したり、再度干合変化を繰り返すようになるのです
続きます<(_ _)>
まちがい・かんちがいは多々
そのうえ自論&推測のおまけつきの上
同じことをなんども繰り返し
考え方も変化し続けております
勉強中につきご容赦ねがいます
<(_ _)>
記述のない『青文字』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座より引用しています
<(_ _)>
『紫色の文字』は原典算命学体系より
引用しています
<(_ _)>
現実的な存在から精神的な存在へ
というプロセスを経ることが
生きるための条件のひとつ
ー青龍塾スピリチュアル算命学よりー
一人ひとりの命に宿された天の真実を
宿命という
運勢とは
天が用意したその宿命が旅する
人生のみちしるべ
❶人間は、人間=肉体(有)+霊魂(無)
この書き方は少し違う誤解を生んでしまいそうなので、、、
『人間とは、肉体と霊魂の合体によって構成されているものであります。
天地自然の法則が陰陽二つの要素で形成されているとすれば、人間の存在も自然の法則の一つなのですから、人間自身が二つの世界によって出来上っていることは当然のことであります。』〈原典算命学体系より引用〉
❷通常の人間を占う視点と異なり、その肉体(有)の置かれている現実視点をいったん外して、霊魂側(無)からどう生きるのかという霊魂主役の視点から宿命を観ようとしています。
❸人間が生きるとは、気が反応し合って変化していくこと(気の融合)
人間の死とは、気が融合によって結合されていたものがバラバラになる=元の一つ一つに還ること(気の分裂)です。
❹霊魂は肉体があることによってこの世に存在することが出来ています(陰陽説)。そこに人間の心は二次的に生まれて来ました。。気心体といって、霊魂(気)と肉体(体)の間を心が取り持っています。
○○しようとある気(霊魂)が起こり、それを行動(肉体)を移す時、その気と行動の間に介入し調整役を果たしているのが心で原典では「無形の器官」と表現されています。
❺人が生きる条件の「苦によって心の次元を上げること(自然に近づくこと)で、現実的な存在から精神的な存在へと移行すること」とは、下の右の図から左の図を目指していることになります。
❻次元上昇するとどうなるのか?
『現実から離れて本来(自然)の○○星に近づいていく形です。
俗にいえば、現実がどうでもよくなる感覚です(現実が価値を失くす)
※画像は算命学研究室よりお借りしています
横線現実を離れて、縦線精神の階段を上がることになります。
これが次元上昇。〈算命学研究室より〉
❼次元上昇するためにはどうすればよいのか?
『人間の欲望や願望から抜け出している必要があります。
気→心→体の、気にあたる○○星と、要の心の●●星の人間欲や願望を削ぎ落すための、○○星と●●星に起因する現実苦の経験が必須
体である▲▲星は、気と心の○○星➡●●星が真の燃焼したあとに現れる世界なので、まずは○○星と●●星の燃焼のための苦難の経験が必要となります。』〈算命学研究室より〉
いろいろ説明不足&まとまっていなくてスミマセン
随時加筆修正しています