引きつづき『スピ算人生論ー我思わなくても心有り』から勉強していきたいと思います。(後半)(7回目)
昨日、衝撃が走った2つのスピ算人生論からの真実をもう一度
ひとつ目は、
『僕たちが「自分・人間」と思っているのは、実は、人間の心(宇宙の心)です。』
ここの認識が一番のキモの部分です
「自分・人間」と思っているのは心だと、、、
言葉としてはすんなり入ってきます。
ただ、自分の理解の中で「自分・人間」とは?って言われると、「肉体と霊魂と心」って3つ入れてしまいます。
それをこの記事の中では「自分と思っているのは、実は人間の心」だと、「心」だけだと書かれてあるのです。スルドイシテン
盲点でした。
もちろん、心は肉体に霊魂が入ることによって、そのふたつの調整のために、あとから生まれて来た器官なので、自分とは?人間とは?となったとき「肉体と霊魂と心」としてももちろん間違いではないのですが、、、突き詰めると違うということです。
光合成でいうと、植物が二酸化炭素を取り込んで酸素を吐き出す、、、調整器官という話ではないのですが、植物が肉体で、二酸化炭素が霊魂で、その二つが合わさることで生まれて来た酸素が心で、となったとき、酸素のことを「植物と二酸化炭素と酸素」だって言ってるのと同じことになって、それだと真実が見えてこないのと同じ状況、、、ではないかと・・・タトエバナシガマズクテスミマシェン
特に、この「自分・人間」から「肉体」を外す視点が目からうろこです。
言われなきゃわからない
この視点があったからこそ、次の真実が導き出されたことになります。
『つまり人間とは人間の心(小宇宙)の化身であって、そのものは実在ではない?』
肉体を持つ我々は、実は化身のほう?
我々が見ているこの現実は、実は仮想現実ってこと?
「自分・人間」から肉体(霊魂も)を外して「心だけ」だとした、切れ込んだ視点からしか見えてこないこの展開
現実にある肉体より、カタチのない心の方が、本来の人間で、立場が逆、天地がひっくり返った瞬間です
(図はスピ算人生論よりお借りしています)
この図でも、宇宙万物創造の神、いわゆるこの世の大元、根源から陰陽でわかれているのは、
心なのですね。
『人間の本質は「心」です。心は霊魂(天)と肉体(地)を調整するための装置です。
神の陰陽として小宇宙と大宇宙が置かれていますが、そこに「心」をつけたのはなぜ?
そして人間の本質も、肉体と霊魂の極として「人間」ではなく「心」なのはなぜ?』
心とは、天の霊魂と地の肉体という、S極とN極ほどかけ離れた両者の間に調整役として後から生まれて来た無形の器官。。。
あとからって、、、あとから湧いて来れるものなの?
あとから、湧いてこなかった人はいないの?
あとから湧いてきた心は、天のものでも地のものでもない?それとも天のものでも地のものでもある、といった方が正しいのか?
あとから湧いて来た心が、かけ離れた2つの間を一生懸命に調整しているのがこの世?
『後天的であり調整役なのですが、それが本質であり、人間存在を語る中心器官です。』
本質、、、人間存在を語る中心器官、、、
なんてこったい
いままで長い間、「人間」というものを大きく勘違いしていました。
その勘違いしてた「自分・わたし」ではない「人間」の作るこの世ってなんなのでしょうか。
更におもしろくなってきました~
続きます<(_ _)>
↓元記事はこちらです
まちがい・かんちがいは多々
そのうえ自論&推測のおまけつきの上
同じことをなんども繰り返し
考え方も変化し続けております
勉強中につきご容赦ねがいます
<(_ _)>
記述のない『青文字』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座より引用しています
<(_ _)>
紫色の文字は原典算命学体系より
引用しています
<(_ _)>