どうやら、人間が思っているのと、算命学の思想部門が語る世界とでは大きな食い違いがあるようです。

まず、私は私であっても主役ではなくて、思っているような私ではない。

本当の私は見えない世界にいます。

 

ということはここで見えている世界も、もしかしたら、本当の世界ではない?という可能性も出てきます。

 

誰が目の前の現実を観ているのか。私が見ているのですが、その私は瞬間的につくられている私なので、肉寄りの私か魂寄りの私かによって、世界の見え方も変わってくると思えます。

実はこれが、算命学思想部門がもっともいいたいことなのです。

 

スピ算霊魂論で使ったプラトンの洞窟の比喩です。

ずっと縛られて壁に映る影だけを見せられて生きていくと、影が現実だと思いこんでしまいます。

実際は、それを現実にしている光があるってことです。

算命学では「気(神)」が光です。

 

プラトンは、この光をイデアと呼び、人間はみんなかつてこの光を知っている世界にいたのですが、人間界に来るとそれを忘れてしまうという理論です。

 

 

算命学を知らなければ^^僕たちは右の正三角形がほんものだと思うわけです。

でも、実際の正三角形は、「3辺の長さと角度が等しく、内角の和が180度」ということです。

 

僕たちが見ている三角形(有形現実)は影で、光は「内角の和は・・・」、です。

老荘思想と同じ年代に西洋でも、「魂」という言葉が使われて、人間世界のありかたを説明しています。

西洋哲学の基礎を作った古代ギリシア哲学も東洋と極めて似た考え方を持っていた、ということは、算命学思想の真実味を補足するに足ることだと思えます。

 

しかも算命学は「魂は肉体という牢獄に押し込められる(プラトン)」なんて偏った言葉を使うことなく^^もっと必然的に人間世界と光の世界を解読しています。

 

これから、占いをするためのお勉強をしていくのですが、そこにばかり気を取られてしまうと、最初のこの神と魂という「光」を忘れてしまいます。

見えている占術だけにとらわれてしまうのですが、算命学の占いは、本来は「光」を明らかにするためのものです。

 

私も長い間、影を占ってきたという反省と自戒をこめて、このスピ算教室をやっていこうと思いますので、みなさんも、そのつもりでついてきてください。

はーーーい!

 

 キンコンカン☆コーン 今日はこのへんで終わります(^^)/

 

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