癌告知までの経緯(その1) | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

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2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

私の腎臓癌&肺転移の告知までの経緯を記そうと思います。長文になるので、何度か分けて書きます。

 

(長文になるので、読み疲れてしまう前に)まずはこの話の中で皆さんに伝えたいことを先に書きます。

 

① まだ癌患者で無い方へ

「40代になったら、必ず人間ドックを1回は受けて下さい」

→私は、昔スポーツをやっていた時期があり、健康体そのものでした。会社の健康診断でもメタボとは言われましたが(笑)それ以外で毎年の健康診断で異常は一度も有りませんでした。(癌を告知されるまで、ずっとです)

でも、結果的には腎臓がんを発症して推定5年、肺に転移して自覚症状が出るまで癌は分かりませんでした。

医師からも、後に「超音波の検診や、人間ドックに行っていたらもっと早期に発見出来ていました」と言われました。

 

② 自分が癌であることが分かった場合

「ショックでしょうが、自暴自棄にならないで下さい。特にサラリーマンの方は絶対に会社を辞めたりしないで下さい」

→告知までの経緯の中で詳しく話しますが、自営業に比べてサラリーマンは癌などの病気になった場合、収入面や医療面で非常に優遇されています。

今、自分も会社勤めですが、その点は骨身にしみて分かります。早まって会社辞めるような行動は絶対に取らないで下さい。

 

③ 今、癌と闘っている方へ

「癌はもう不治の病では無い!絶対にあきらめないで欲しい」

→詳細は、私の11/5の過去ブログ「腎臓がんになって思う大切なこと<絶対に諦めない!>」を読んで下さい。

 

では、私の癌の告知までを振り返ります。

 

2016年の12月に、私の子供達が立て続けにマイコプラズマになりました。

その2週間位後に私も咳が出る様になり、体も若干だるかったので単身赴任先のA病院で診察を受けました。

医者に子供達がマイコプラズマにかかっていたことを話すと、「あなたもマイコプラズマの可能性が高いですね」と。その後、血液検査を受けて「マイコプラズマ陽性」という結果でした。

 

しかし、抗生物質を飲んで、1週間、2週間と日がたっても咳だけは治りません。

医者も、「マイコプラズマはそんなに強い菌ではないので、もう治っているはずなのだけどなぁ」と不思議がっていました。

「もしかしたら、別の原因があるかも知れない」と喘息の検査や肺のレントゲンを撮ってみましたが、何れも異常なし・・。

咳は特に酷くは無く日常生活に支障が無い状態だったので、重篤な状態では無いと思い、対処療法となる咳止め薬をもらってしばらく過ごしていました。

また、念のためと自宅に帰った時にかかりつけの(別の)F病院にも行きました。ここでも肺のレントゲンを撮りましたが、「肺はとてもきれいですよ」とのこと。また咳に関する様々な薬(喘息・COPD等々)を処方されたのですが、何れも効きませんでした。

 

そんなことで3箇月以上経過し、「さすがにこれは何かおかしいのでは?」と思い、2017年3月に会社を休んで単身赴任先地域のT総合病院に行きました。

「咳が3箇月程止まらない。2つの病院で診察・薬を処方してもらったが改善しないので、徹底的に検査して欲しい」とお願いし、尿検査・血液検査・レントゲンなどを行いましたが、結局原因が良く分からず・・・。先生から「気管に炎症が出ている可能性があるから、咳止めを出しておきましょう」と言われて、がっかりしました。

 

さらに時は経過し、2017年6月になっても相変わらず咳は出たままでした。

一方、咳以外の体調は特に問題有りませんでした。

かかりつけのF病院で咳止めをもらい続けていましたが、さすがに半年以上咳が出続けるのは絶対おかしい!ということで、F病院の先生に単身赴任先地域での地域医療支援病院であるH総合病院の紹介状を書いてもらい、最初から数えて4件目の病院に行くことに決めました。

その2に続く・・)