娘が生まれた日
見せられた娘の脳のCTは
左右の大きさも形も全く違くて
出産前に思い描いていた
よちよちの娘と手を繋いで歩く
とか
綺麗なもの、美味しいものを
共感するとか
そういう普通の夢が
全部崩れました。
将来が全然見えなくて
退院させて育てる自信も
気力もなかった時
保育園の代表の方と
園長先生が大学病院まで
面会に来てくださいました。
嫌な顔をせず
預かってもらえるだけでも
有難いと思っていたけど
0歳の頃から
運動会なんかのイベントを
断られる事も無かったし
むしろ
「体調気を付けて
絶対参加してね!」
って感じだった。
お昼寝アートやウサギの耳を
つけた写真を撮ってくれたり。
私の心も少しずつ温かく
なっていった。
1歳で
2回、脳の手術をした時は
都内の大学病院まで
お見舞いに来てくれた。
退院後も休むように
言われたことがない。
2歳で
プール遊びの為に水着が
必要になったので
肢体不自由だから、と
着せやすい水着を用意したら
「ビキニなんてどうですか?」
「絶対可愛いと思います!」と
障がいがある事は何も関係
ないという対応。
障がいがあっても
縮こまっていないで
楽しんだり可愛くしても
いいんだと思える、ひとつの
きっかけでした。
座位が取れるようになって
きたら、保護帽を被せて
ミルク缶を3つ繋げて
高さを調節した椅子で
背もたれに寄りかからない
で座る練習。
装具をつけて立つ練習。
合奏も工夫をした楽器を
持たせて、みんなと一緒に
参加できた。
小規模保育園(2歳まで)
だったので
3歳で他の保育園に
行くも
小規模保育園に併設された
児童発達支援施設に並行
して通い
4歳の時に
今までの保育園が
年長までの園を
新設したので転園。
「娘ちゃんは大変だとか
全然思ったこと無いです」
と言いながら
歩行練習やら
食事の練習やら
静かにする練習やら
トイトレまでやってくれる。
(トイトレは5歳から)
「曲をすぐ覚えられる」
とか
「社会性がある」とか
出来ないことよりも
出来ることを私に教えて
くれる保育園。
5歳目前で
数メートル歩けるようになり
自分の子どもの事のように
喜んで動画を見せてくれる
園長先生。
他で障がいを理由に嫌な事や
理不尽な事があると
本気で一緒に怒ってくれる。
5歳になって
年下の子との体格の差も
顕著になり
他害のある娘と他の子達の
関わりを心配したけれど
一度も大きな問題になる事は
なかった。
「手を出したりする事は
どの子でもあり得るし、
園内で何か起きた時は
園の責任ですから」
と言う。
保護者の方も理解のある方
ばかりで
園の出入り口ではドアを
押さえて娘の出入りを助けて
くださるし、
言葉にならない言葉で
「んーにぁ~(こんにちは~)」
というと
「こんにちはー」と返して
くれる。
子ども達も
「娘ちゃんばいばーい」と
何度もバイバイタッチ
しにきてくれる。
6歳になる頃には
園の階段を手すりを使って
上り降り出来るようになって
きた。
娘が廊下で転がって
我儘を言っていると
通りかかった子が手を
差し伸べて起こしてくれよう
とする。
いつも娘を抱きしめてくれたり
出来ないことを手伝ってくれる
子もいる。
時には先生たちの会議に
参加させたり
面接に同席させたりしながら
見守ってくださり…
本当に素敵な保育園でした。
私事ですが、卒園式では
謝辞を読むことになり
もちろん
障がいのある子の親だからと
忖度されたりはしませんでした。
・・(´゚Д゚`;) 人前に出るのは苦手です
私の席の斜め後ろには、
別の障がいのある子が座って
いて、足元には足マーク👣
の絵が貼ってありました。
個々の性格や特性を理解して
全員に居場所を作ってくださる
保育園でした。
これまで
何度も園長先生の前で
泣いたし
弱音も吐きました。
それでも
いつも娘と私を受け止めて
くださいました。
娘は卒園しました。
今日が最後の登園です。
6年間、
娘と私を支えてくださって
有難うございました。
ブログを通じて応援していてくださった方々
にも感謝をこめて。