週末のレストランでの演奏で、一曲目に何を演るか、いつも迷う。
その場のノリで始める瞬間に決めちゃうのだけど。
先週はボブ・マーリーの「レデンプション・ソング」で始めた。
第一セットの途中でアコーディオンのイリヤも参戦。
ウクレレ・マスターの酒井さんとトリオでノリノリの良い感じのライブが出来た。
いつもはニコリともしないマネージャーのモニカも軽く微笑んでいた。
こういう夜もたまにあるのは嬉しい。
次の日の早朝はまだ暗いうちから雪が降っていて、路上に駐車された車の上や葉が無くなった街路樹の枝、そして歩道に10センチぐらい積り始めていた。
スノーブーツを履いてコートを引っ掛け、大き目の傘をさして仕事へ向かった。
ランチの休憩の時に思った。
「そういえば、ボブ・マーリーの映画がもう上映されてるんじゃないか?」
調べてみるとやはりそうだった。
2アヴェニューと31丁目にあるAMCの劇場の夕方4時15分上映のチケットをオンラインで買った。
仕事が終わってバスに飛び乗れば十分過ぎるぐらい時間がある。
映画館に早めに到着。
まだ時間があるので近所のフェアウェイ・マーケットでブルベリーデニッシュを購入。
映画館のロビーで頬張る。
結構前の方の真ん中の席。
リクライニングシートを倒して、心地よい姿勢になる。
映画が始まった。
途中、心地良すぎてうたた寝しそうになる。
昨日は仕事に演奏、今日も朝4時に起きて仕事に行っているのだ。
暗闇に横たわっていたら眠くもなる。
「ああ、このまま眠りに落ちたら、どんなに気持ちいいだろう。」
しかし、その誘惑を振り払い、映画に集中する。
初めてボブ・マーリーを聴いたのはいつだろう?
中学3年の時、高校受験を終え、友達の家でNHKの教育テレビでテストの答えをチェックしていた。
手ごたえは良く、理科は満点だったような気がする。
おそらく合格するだろう。
その後、総合テレビのチャンネルに回すと、エリック・クラプトンのコンサートの模様が流れた。
それがボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」だった。
オレは警官を撃った、だが副官は撃っちゃいない
その日本語訳の字幕が永遠に流れて、友達と顔を見合わせて、
何だこの曲は?と不思議がった。
いやレゲエが初めてという訳ではない。
その前にローリング・ストーンズの「ブラック・アンド・ブルー」というアルバムに収録されている「チェリー・オ・ベイビー」というレゲエの曲を聴いているはずだ。
ああ、あともう一枚ストーンズの「ダーティ・ワーク」に入っているキースが歌う「トゥー・ルード」も聴いてるね。
ただボブ・マーリーの存在を知っていたかは覚えてない。
おそらく高校になってロック名盤みたいな雑誌に載っていた、
「カヤ」というアルバムを買ったのが最初ではないか?
だから、最初はストーンズやクラプトンのようなイギリスのミュージシャンを通してレゲエを知るわけだ。
ジョン・レノンもテレビに出演した際に「ギブ・ピース・ア・チャンス」のレゲエ・バージョンを演奏していたね。
ただ、レゲエをすぐに好きにはなれなかった。
まだシンプルなロックンロールやファンクが好きで、このチャカチャカいうリズムに馴染めなかった。ジャマイカ訛りの歌い方とかね。
この映画も全編ジャマイカ訛りの英語で進んでいくので、字幕無では半分くらい何を言っているのかわからなかった。
まあ雰囲気で推測して観ていたのだけれど。
それよりもとにかくガンジャを吸いまくるので、観ている方が煙たくなってくる。
コンサートやレコーディングの合間に仲間と公園でサッカーを楽しむ姿が微笑ましかった。
ボブが「よっ、スーパースター!」と声をかけられると
「いやオレはスーパースターじゃない。ラスタだ!」と答えるシーンが印象的。
ラスタやジャーという言葉が度々、登場する。
ウィキペディアでは以下のように解説する。
「ラスタファリ運動は聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。それゆえ宗教ではなく、思想運動であるとされる[1]。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『タファリ侯マコンネン』の意)に由来する。 ラスタファリ運動には一握りのエリートによって支配され、社会的に抑圧されたジャマイカ市民による抵抗運動としてのメシア主義と、現実逃避的な千年王国思想の両面が垣間見える[2]。
主義としてはアフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励した。その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。 1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる。
なお、ジャマイカの多数派宗教はキリスト教(プロテスタント・バプティスト派)であって、ラスタファリズムを信仰するのは全国民の5~10%前後である。」
映画の最後にボブ本人の映像が流れる。
今回の主役の俳優には悪いが、本人が発しているエネルギーは
2000倍ぐらい違う。
映画よりもこの最後の映像の方が印象に残った。
ボブは1981年にガンで亡くなってしまう。
ジョン・レノンが凶弾に倒れたのが1980年だから、2年連続で世界はレジェンドを失った事になる。
今回の映画をキッカケにまたボブのレコードやライブ映像なんかを味わってみたいと思う。
(今回は長くなったが、自分の記憶の整理やラスタの事についての勉強の意味もあった。)