懐かしの牛友チェーン(現「牛八」)大井町店の「スタミナカレー」 | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

先日、大井町と大森を結ぶ路線バス「井19」系統のことをブログに書いていて(http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11390819918.html?frm=theme)、思い出したことがあります。

僕が大井町に住み始めたのは、昭和60年4月のことでした。
平成15年に大森に引っ越すまで、20年近く住んでいたのです。
生まれ故郷の金沢に3年弱、小中高校と通った長野市に15年住んだのですから、大井町は僕の人生で、最も長く住んだ街ということになります。

大学生として初めて東京にやって来て、阪急デパートの裏に建つ6畳一間の古びた木造アパートに起居した学生時代。
トイレは共同、風呂はなくて、近所の銭湯に通いました。
洗濯もコインランドリーだったのです。

就職して初めて、自分の給料でワンルームマンションに住み替えたのも、大井町の、今は亡き場末の映画館「大井武蔵野館」の奥でした。
ユニットバスだったのですが、自分の部屋にトイレも風呂も、洗濯機もあることが、無性に嬉しかったことを覚えています。
彼女が出来て、本気で一緒になろうと思い、3LDKのマンションに引っ越したのも、大井町の東海道線と京浜東北線の線路沿いでした。

若かりし頃の楽しく、時に苦しく、ほろ苦い思い出がたくさん詰まった街なのです。



 

大井町に住み始めた頃の、京浜東北線の大井町駅は、平屋でした。
駅前には阪急デパートが建っていましたけれど、古くて小さくて、しかも売っている商品は食品1つとっても高価だったものですから、あまり利用しませんでした。

大井町駅の北側には、東急大井町線の大井町駅が京浜東北線と直角に建っていました。
僕が通った大学は大井町線沿線でしたから、毎日、西口の駅前ロータリーを横断して通ったものです。



 

東急大井町線のガード下には、古びた商店が並んでいました。
更に、地下にもぐる階段がアーケードの中央と、国鉄大井工場に隣接するアパートへの入口付近にあり、入り口に「大井デパート」との看板が掲げられていました。
デパートと言っても小売店があるわけではなさそうで、飲食店の看板ばかりが降り口に幾つも並べられていたのですが、何となく怖れをなして、1度も入ったことはなかったのです。
どんな地下街だったのでしょうか? 

 

 

 

東急大井町線のガード下に、「どん亭」という名の牛丼店が出店していたことがありました。

駅の改札出口からすぐの場所で、急な下り坂の途中だったものですから、歩道から階段を降りるような奥まった店頭でした。

ここは目まぐるしく店舗が入れ替わる場所だったように記憶していますが、「どん亭」以外には、手打ち蕎麦の美味しい、しかし売り切れ御免で平日の午前中しか開いていないような店があったのは覚えていますが、他にどのような店舗が入っていたのかは覚えていません。

 

「どん亭」は昭和63年創業と新しい牛丼チェーンで、その第1号店が大井町店だったようです。

その後、高田馬場、国領、大森、白楽、池尻大橋、三軒茶屋、登戸、百合ヶ丘、高津など東京と神奈川、そして沖縄に幾つか出店したらしいのですが、次々と撤退して、今では沖縄に2店、関東地方には川崎市新城に1店だけとなってしまったようです。

比較的正統派の牛丼を食べられたように記憶していて、大井町の牛丼屋と言えば、大井町線のガード下を下神明方面に数百メートル歩いた場所の「吉野家」と、後述する「牛友」しかなかったものですから、僕は重宝していました。

ただし、店はいつもすいていましたし、カウンターには、何故か店長の自己紹介が可愛らしいイラストとともに書かれていて、最後に「この店長は実在する」と締めくくられていたのには、苦笑いさせられました。



東急大井町駅の北側の奥の線路沿いには、イトーヨーカ堂があり、よく買い物に行ったものですが、ここも売り場はいつも空いていました。

大井町には、他にも思い出の味がいくつもあります。

アパートの近所、三ツ又商店街の入口近くにあった中華屋さん「丸吉飯店」は、行きつけでした。
1階がカウンター席、2階がテーブル席になっていて、常連客でいつも賑わっていましたし、料理がミニ昇降機で上がってくるのが珍しく感じたものでした。


僕の好みは味噌ラーメンでした。
麺に載せるあんかけをフライパンで揚げているのも珍しく、要は、僕が初めて入った大衆的な中華料理屋さんでしたので、全てが新鮮だったのです。
何と言っても、とびきり美味しかったのは餃子でした。
カウンターの向かいの調理場で、専用の焼き機で勢いよく揚げる様子が、大変面白く感じました。
ナマ餃子を綺麗に数十個並べて蒸し、ホカホカと蒸気が上がり出す頃に、焼き板を大きく傾けて水を流し、更に焼き込めば、ジューシーで熱々の餃子の出来上がりです。
 


世の中にとんかつ専門店というものがあることを教えてくれた「丸八」。

 

大井銀座の真ん中にあるこの店で、とんかつ屋さんではキャベツがお代わり自由ということも、初めて知りました。
とんかつにビールを頼むと、御飯がなかなか出てこない、ということも。
とんかつは肉厚でからりとした揚げ具合が絶妙でした。
 

この店も1階席と2階席に分かれていましたが、気になったのは、店員さんの多さでした。
決して大きいお店ではなかったのですが、どうしてこんなに大勢の店員さんが店内にたむろしているんだろう、といつも不思議に思っていたものです。
1人1人がどのような仕事を担当していたのか、観察していてもよく分かりませんでした。
大きな釜でジューッとカツを揚げる人だけは、決まっているようでした。
もしかしたら、このお店は家族経営で、3世代くらいの大家族が和気藹々と仕事しているのかな、と妄想を膨らませながら、とんかつに舌鼓を打ったものです。
 


阪急デパートの隣りのマクドナルドにも、よく行きました。
いきなりチェーンのファーストフードかよ、と思われるでしょうが、故郷の長野市でマックに入った記憶がないので、僕が初めて経験したマックだったかもしれないのです。

イトーヨーカ堂のある区画の横丁を東に進むと、狭く入り組んだ路地があり、立ち飲み屋や赤のれんなどが軒を並べていました。
それに混じって、あまり清潔感はなかったのですけれど、美味しい洋食屋さんもありました。
 


路地を抜けた大井銀座商店街の突き当たりに、大井町で唯一の書店があり、毎日のように足蹴く通ったものです。
いや、唯一ではありませんね。
大井銀座からジェームズ坂に降りていく道が分かれる三叉路の角にも、小さな本屋がありましたけど、置いてある本の数が少なくて、新刊や雑誌や児童書ばかりが目立っていましたから、ほとんど入らなかったのです。

書店の向こうに「モスバーガー」があり、そこで、大井銀座のアーケードは尽きていました。
この「モスバーガー」は、僕が大井町に住むようになってしばらくしてから開店したのですが、内装に無頓着な店で、コンクリートの打ちっ放しの壁や天井が剥き出しで、若干寒々した雰囲気でした。

美味なハンバーガーを食べたければモス、安く手軽に行きたい時はマックと、大井町だけで使い分けが可能だったのですから、今思えば何という贅沢でしょうか。


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大井町駅西口ロータリーからは、渋谷、西大井、荏原、品川、池上、蒲田行きの路線バスが出ていましたが、1番賑わっていたのは、大井競馬場への無料バスでした。
停留所には競馬新聞の売り子が行き交い、競馬場からのバスが着くと、乗客が路地の飲み屋街に消えていくのをよく見掛けたものです。

そのうちに、丸井が蒲田店を閉じて大井町に越してきたのですが、その頃から大井町は大きく変わり始めたのです。



八潮団地や大井埠頭を経由して品川駅に向かう都営バスだけが出入りするだけだった東口は、敷地が広げられて、ペデストリアンデッキが張り巡らされました。
丸井の入ったビルが巨大でしたから、空は狭くなりました。

ファッションにあまり興味がなかった僕は、丸井はレコード屋さんしか行きませんでした。

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国鉄がJRになって、駅ビルが建て替えられ、線路をまたぐ巨大で洒落た店舗ビル「アトレ」に生まれ変わりました。
東急大井町駅も小さいながらも小綺麗な店舗ビルに変じて、書店やスターバックスが入ったのです。
スタバは、マクドナルドの向かい側と駅ビルの中にも開店しました。
高級感のある街を厳選して開店するとされていたスタバが、大井町に3店もできた時には、仰天したものです。

奥まった場所にあったイトーヨーカ堂も、駅ビルとロータリーを挟んだ西口の好位置に移転して、大型化し、明るい雰囲気になりました。

競馬場行きのバスが発着する乗り場から、羽田空港行きのリムジンバスも颯爽と走り始めたのです。

東口商店街にも、スープカレーのお店が出来たり、家系ラーメン店が開業したり、数年で消えてしまったり、目まぐるしい変化が始まったように感じたのです。

その頃のことは、別のブログに書いていますので、よろしければお読み下さい。
http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11394286910.html?frm=theme
http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11394381378.html?frm=theme

そのような大井町の変貌の中で、変わらなかったのが、大井町駅西口ロータリーの隅っこにあった「牛友」でした。

2mあるかないかという狭い間口に、ゴチャゴチャと食器や調理器具、仕入れに使うダンボールなどが無造作に積み重ねられ、『大井町名物 スタミナカレー』と書かれた黄色い幟がはためいていました。

細長い店内は、カウンターで縦に2等分されて、座れば膝がつかえる丸椅子が5~6席あるだけです。
席の後ろは、身体を横にしてようやく通り抜けられる程度の隙間しかありません。
そのうちに、なんと、椅子を取っ払って立ち食いになってしまったのです。

カウンターと向かい合う調理場も、どう贔屓目に見ても、薄汚れていました。
御飯のお釜と、カレー、焼き肉、牛丼が煮込まれた大きな鍋だけでいっぱいだったのです。
競馬新聞に書きこむ赤鉛筆を耳に挟んだおじさんが、無愛想な表情で鍋をかき回しながら盛り付けていました。

目玉商品はスタミナカレーです。
 

平たく大きな皿に盛られたカレーライスに、甘辛く煮込んだ焼き肉と玉ねぎをたっぷりかけてあります。
美味、とはとても言えませんが、なぜかクセになる味わいでした。
量も多かったのです。
御飯が、時にべたべたしていたり、炊き加減にムラがありました。

他の店の普通盛りに当たる、御飯が茶碗1杯ぶんが「小」。
御飯が茶碗2杯ぶんで「中」。
御飯が茶碗3杯ぶんの「大」を頼むと、

「御飯が3杯ぶんですが大丈夫ですか?」

と聞かれたものでした。

カレーも甘口、中辛、辛口とあって、僕は、

「スタミナの中を中辛で」

と頼むのが常だったけれど、他の初めてらしいお客さんが「スタミナカレー」とだけ注文すると、中盛りの中辛が黙って出されていたような気がします。

辛いもの好きの僕は、時に辛口も頼んでみたこともあります。
辛口は50円ほど値段が高くなりました。
最近の「CoCo壱番」などでも、辛さをアップすれば値段が上がっていくのですが、あれは何故なのだろうと思います。
牛友チェーンの辛口は、スパイシーで嫌いではなかったのですが、無難な、安心できる味は中辛でした。

もう1つ、忘れられないのが、牛丼カレーですね。
 

スタミナカレーと同じ皿に盛られたカレーライスと牛丼の合わせ技です。

今でこそ、牛丼とカレーを合わせたメニューは、大手牛丼チェーンでも見られるようになっていますが、当時は物珍しく、画期的に思えました。

豚肉を使ったスタミナカレーとの違いは、スタミナカレーは御飯にかけたカレーと焼き肉が混ざっていましたけれど、牛丼カレーは、牛丼とカレーが画然と分けられていたことです。

ただ、この店の牛丼は他のチェーン店に比べて、やや薄味な感じで、スタミナカレーのパンチ力にはかなわなかったので、僕はもっぱらスタミナカレーばかり食べていました。

それに、100円のサラダ。
 

キャベツの千切りにまぶしたゆで卵に、フレンチドレッシング。
シンプルだけど、安くて、スタミナカレーによく合いました。

カレーライスや牛丼の単品もありましたけど、驚いたのは、牛丼も、カレー類と同じく平べったいお皿に盛られていたことです。
牛丼は丼、という観念がありましたから、とても違和感がありました。

大学や仕事が終わった夜遅く、うす汚い店の前を通りかかると、なぜか無性に寄りたくなってしまう不思議な魅力が、「牛友」にはあったのです。
午後11時までやっていましたから、スタミナカレーを食べ終わって店を出ると、ああ、1日が終わったな、と思ったものでした。

大学の授業や部活が終わって、東急大井町駅に降り立った時。
渋谷で友達と遊んで、乗り換えが必要な電車ではなく(当時は東京臨海高速鉄道がなかったのです)、渋谷と大井町の間を結んでいた路線バス「渋41」系統に乗って帰って来た時など。
大井町行きのバスは、終点の駅前ロータリーではなく、1つ前の東急大井町駅前バス停で降りれば、「牛友」まですぐでした。

僕が大井町を去って間もなく、閉店してしまったと聞いたものですから、寂しい限りです。

大井町に行っても、もう食べることが出来ない、と思えば、あたかも後戻りが出来ない青春時代のようにも感じるのです。
今でも、胸が焦がれるほどに懐かしくなる思い出の味です。
 
$†ごんたのつれづれ旅日記†

*追記*

この記事は昨年(平成24年)10月に書いたものです。

閉店、などど書いたら(確かに誰かからそう聞いたのです)、牛友チェーンの親会社は倒産しましたが、経営者が変わって「牛八」という名で、引き続き大井町駅前で営業しているというではありませんか。
他の方々のブログを読むと、スタミナカレーも、牛友チェーン時代の味そのままだといいます。

さあ、そうなれば、いつか再訪してみたいものだ、と無性に心がはやります。

それとも──

思い出として心の中にしまっておくのが無難でしょうか。
 
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