「戦慄的な神秘」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 神学者オットーの古典的名著『聖なるもの』には、神秘的なものに触れた時、人間はそれに魅惑されると同時に、戦慄を覚えると記されている。その昔、マジメな神学部生だった私は、それをMysterium tremendumというラテン語で教わったのだが、今日、与那国の洞窟でそれを体験してしまった。不動明王が祀られているという山に登ったところ、うちの魔女が「向こうの木陰に女の人がいる」と叫んだので、たぶん幽霊だろうと思った。いつも幽霊を追いかける損な役は私なのだが、そちらのほうに行ってみると大きな洞窟があり、足を踏み入れたとたん全身に戦慄を覚えた。見てはならないものを見てしまったと思った。

 古代与那国では卑弥呼のような女帝が支配していたらしいが、まちがいなく彼女の魂が私たちを呼び入れたのだ。その気配に圧倒され、祝詞や読経では足りず、枯れたソテツの葉を大量に集めてきて、大きな護摩を焚いた。そして、魔女がアマミ舞を舞った時、神示が下った。

 

 「わが御霊に気づいた者には、それなりの役目がある。覚悟せよ」 

 

シュノーケルで遊びに来ただけだのに、とんでもないことになってしまった。ちなみに魔女は携帯を海に落としてしまったので、弘法護摩その他のご連絡は当面、メールのほうにお願いします。chisato.s819@gmail.com護摩941回 直近の予定はHPのイベント欄を御覧ください。「弘法護摩&オンライン」は随時受付中。町田宗鳳 | ありがとう禅 (arigatozen.com) 英語版動画は毎週更新:「Arigato Zen Temple Goma」