「衝撃の与那国体験」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 私が離島を訪れる時は「シュノーケルをしたい」という坊主らしからぬ動機なのだが、いつもまったく予期しない展開がある。今回もひょんなことから、地元民にも忘れ去られた御嶽をお参りすると、「ここを綺麗にしてほしい」という神示があった。御嶽は不用心に入ると、大変な障りがあるので、地元のツカサ(神官)を探し出すことにした。ところが、情報を得るために最初に訪れた民家がツカサご本人の家だったというのも不思議である。事情を説明すると、「本来は自分がすべきなのだが、高齢なので行けない。ぜひお願いします」と言われた。それで現場に向かったのだが、驚いたことに水神のご神域に鉄条網のフェンスが崩れ落ちていた。昔、強欲な地主が地権を主張するために設置したようだが、まるで神を鉄条網の中に閉じ込めるような行為である。頑丈なワイヤで固定されていたので、素手ではどうしようもなく、地元の民家からワイヤカッターを借り、時間をかけてすべて撤去した。その上で周囲の雑木を伐採し、掃き清めた。そのとたん、まったく違う空気が流れ始め、水神から痛く褒められた。一日がかりの肉体労働でクタクタになったが、格別な爽快感があった。帰途、ツカサさんに報告すると「今日から神の道が開きました」と感謝され、貴重なお酒やお刺身を振舞って下さった。我々夫婦は、かつて同じようなことを石垣島でも体験し、三年かけて密林の御嶽を整備した。石垣にはハブがいるので命がけの作業だったが、現在の弘法護摩が実現したのも、その修行のおかげかと思っている。ちなみにツカサさんの前夫が、彼女の助言を無視し、神意を問わずに聖域の土木工事をしたため、その沖で船釣をしている時、釣り竿に落雷し、即死されたそうだ。神罰を恐れぬ者の顛末は、いつも雷の直撃のように無惨であることを私も何度か目撃してきた。護摩941回 直近の予定はHPのイベント欄を御覧ください。「弘法護摩&オンライン」は随時受付中。町田宗鳳 | ありがとう禅 (arigatozen.com) 英語版動画は毎週更新:「Arigato Zen Temple Goma」