「護摩の心得」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 ごく稀ですが、弘法護摩を希望される方の中に「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の占いのように考えておられる人がいます。そういう人たちにかぎって、せっかく弘法大師から貴重な智慧を授かっても半信半疑という感じです。護摩は、あくまで祈りであり、一つの真剣な願いをもって臨むものです。もちろん、それがどなたかの供養であっても結構です。占い師や霊能者をハシゴするような気持ちで臨まれるのであれば、それは神仏への冒涜となります。確かに炎を通じて目に見えない世界と繋がることがありますが、根本に神仏への帰依がなくてはなりません。「無縁に悲を起こして大悲初めて起こる」というのは弘法大師のお言葉ですが、私たちは「無」になって神仏に頭を垂れる者であり、どれだけ厳しい現実に直面しておられても、護摩がその人にとって「希望の炎」であってほしいと願っています。写真は、鹿児島から屋久島向けJAL機を操縦中の新卒パイロット。(笑) 護摩909回 直近の予定はHPのイベント欄を御覧ください。「弘法護摩&オンライン」は随時受付中。町田宗鳳 | ありがとう禅 (arigatozen.com)