「鬼神が動くとき」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 国際情勢はいよいよ混沌としてきた。モスクワでのイスラム過激派による銃撃事件に象徴されるように世界平和どころか、世界破滅をもくろんでいる勢力があちこちに存在する。日本は相変わらず議員特権にあぐらをかいている国会議員たちが、メディア向けの幼稚な論議で暇つぶしができるほど平和な国だ。でも、そういうことが許されるのも今だけだ。私とペンシルバニア大学の同窓生であるトランプが再選されれば、日本は手玉にとられ、上を下への大騒ぎになるはずだ。残念ながら、彼を支持しているのは「アメリカだけが繁栄すればいい」と考える無教養な国民層だ。

 今、問題になっている日本製鉄によるUSスチール買収問題も、かつてラストベルトの現場で通訳アルバイトをしていた私には単なる感情論にしか思えない。こういう時に莫大な金を払ってロビイストを雇うのではなく、みずからアメリカ議会に行っては堂々と意見を言える外交官やビジネスマンがいないところに日本という国の限界があるような気がする。

 ところで二日前、福徳護摩を焚くと、「いよいよ鬼神動く」という言葉が降りてきた。鬼神は必ずしも悪神ではないが、強いエネルギーをもつ荒々しい神である。これから何が起きたとしても、そこには厳然として神意が働いているということだ。それは蒙昧な人間が真に反省し、成長するための試練となる。ごく当たり前の日々を誰もが「ありがとう」と言いなが暮らせばいいものを、それが分からないために鬼神の出番があるようだ。護摩890回 直近の予定はHPてのイベント欄を御覧ください。「弘法護摩&オンライン護摩」は随時受付中。町田宗鳳 | ありがとう禅 (arigatozen.com)