「ほとんどの人の弱点は、ほんの1、2回の失敗でやめてしまうことなんだ。
わたしは自分が求めるものを手に入れるまで、決してあきらめるようなことはしない」というエジソンの名言。
天才エジソンは「諦めないことの天才」でした。
「音楽」ではどうでしょう?
「絶対音感」などと、特別な才能のように言われていますが、「音感」は訓練によって養われます。
確かに「臨界期」というものは存在するので、それを習得するのに適した時期というのがあるのは事実です。音楽でいえば、耳の柔らかい幼少期からソルフェージュ(音を聴き取る訓練)が行えれば、一番良いに決まっています。
それでは、その時期を逃してしまった人は「音を聴き取る力」は養えないのでしょうか...?
本当の意味での「音痴」というのは40万人に1人とも言われています。
「不可能」と言うことは、とてもたやすいことです。
「出来ない」と言うのは、「努力出来ない」または「どうしたら出来るようになるか知恵がない」と言っているのと同じことですよね。
特に教育者は「出来ない」とか「無理だ」などと簡単に言うべきでないと思います。
生徒に「出来ない」のレッテルを貼るということは、自分自身が「無力な指導者である」と認めたようなものです。
困難な課題のメカニズムを研究し、たくさんの引き出しを持って、「出来るようになるための策」のアイディアを出し続けることが、教育者の勤めです。
そんな指導者にレッテルを貼られ、苦手意識を持ってしまった生徒さんは「なにくそ!」と見返してやりましょう。
少し話はそれますが、語学の成績がいつも赤点ギリギリだった○○くんが、ラッパを持ってドイツへ留学し、3年後ペラペラと流暢にドイツ語を喋っていたという事実もあります(笑)
明けても暮れてもラッパを吹くことしか考えていなかったけれど、ラッパの上達のためにドイツ語が必須となったために導かれた結果です。
臨界期にとらわれずとも、人の情熱が、それを「可能」にさせるのではないでしょうか?
「~が出来るようになりたい」と強く思った時が、「可能」への切符を手に入れた時です。
情熱に火をつけることが出来れば、いくつになっても、どんな苦難の前にも、
「必ず可能にしてみせる」という熱い思いで、知恵と努力を重ね続けることが出来るのだと思います。
さあ、今日も頑張りますよ~!{%グーwebry%}
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