運命 | 風の子ぷてぃぱ ~風の子ジャックリトミック教室 講師の日記~

風の子ぷてぃぱ ~風の子ジャックリトミック教室 講師の日記~

毎日、子どもたちの成長におどろいたり笑ったり いろいろな発見があります!
このブログは「風の子ジャックリトミック教室」講師cheese&rieの日記です

昨年末に子供からもらった胃腸風邪と比べたら、今回の風邪は熱は出ましたが、ダメージは少なくて済みました。今朝は喉の痛みはあるものの、大分調子がいいです{%うれしいwebry%}

今年の目標の1つ「ブログのまめな更新」も、今のところなかなか良い調子ですよね{%チョキwebry%}おかげさまで、閲覧件数も伸びて来ています{%上昇webry%}


さて、人生は出会いによって大きく左右されますが、今日は、私の今までの人生で出会ったかけがえのない人の一人、「フィリップファーカス氏」について書きたいと思います。

画像これは、大学2年生の夏に、インディアナ大学へ短期留学した時の写真。

フィリップファーカスは「金管楽器の父」と呼ばれるほど、ブラスの世界では有名な先生です。
シカゴ交響楽団の首席ホルン奏者でした{%音符webry%}

この写真は、インディアナ大学でのリサイタル後、浴衣に着替え、ファーカス御夫妻と撮ったものです{%ハート1webry%}

私が若いとか...そういう話ではなくて(苦笑{%汗webry%})とってもイキイキとしているでしょう{%キラキラwebry%}
実は、ファーカス先生は既にインディアナ大学を退かれていたのですが、たまたま大学のホルンの先生が演奏旅行に出られてしまったので、私の我がままで、急遽ファーカス先生とコンタクトを取っていただき、ご自宅でレッスンして頂いたんです。
画像


こちらは、ブラームスのホルントリオのレッスンをして頂いた時の様子。







私が大学入学から未だ吹き続けている楽器も、偶然Holtonの「ファーカス・モデル」
日々欠かさず愛用していたエチュードも、ファーカスが作った物でしたので、直にレッスンして頂ける、本当に貴重な機会でした{%音符webry%}
英語は頑張って勉強したつもりだったのですが、実際は幼稚園生レベルの会話しか出来ず、いつも辞書を片手にレッスンを受けていました。
そんな片言しか喋れない私に、ファーカス先生はレッスンばかりでなく、オペラ鑑賞に連れて行って下さったり、ある時はバーベキューを催して下さったり、また方向音痴な私をドミトリーまで送って下さったこともありました{%トホホwebry%}

「君はホルン吹きなんだから、オーケストラ・スタディをもっとやらなくちゃ!!」と、毎回真っ赤な顔で、オケの有名なパッセージを次々一緒に吹いて下さり、室内楽やソロの演奏とは全く異なる、オーケストラの管がビンビン振動する豊かな響きや呼吸を、これでもかというくらいに体験させて下さいました。
当時、東京音大のホルンは「黄金期」と言われて、先輩方は皆プロのホルン奏者になってご活躍され、私など味噌っかす同然でしたので、この留学で、ファーカス先生から教えて頂いたこと、励まして頂いたことの一つひとつが、自信につながりました

「就職浪人は許さぬ」という父の言葉に「黙ってアメリカに渡ってしまおうか」と本気で考えたくらいでしたが、私が大学4年生の時、ファーカス氏はお亡くなりになり、二度とお目にかかることはありませんでした。

ブラームスのホルントリオは、ブラームスが母親を亡くした直後に、悲嘆と追想の思いを込めて作った作品です。ファーカスは、ホルンのベルを手で覆うようにして、音色を一段暗くし演奏するようにとおっしゃっていました。
「ここは、さよなら、さよならと言っているフレーズなんだ」
私にとっては、この曲が、ファーカスとの思い出の曲であり、お別れの曲となりました...

ファーカス先生から戴いたお手紙やメッセージカードにはいつも
「私の日本の娘、親愛なる弟子、チーズ」と添えられていました。
本当に本当に、懐の深い、温かな、素晴らしい先生でいらっしゃいました{%キラキラwebry%}
緊張でガチガチになっても、本番が終わると、舞台袖で腕を広げて待っていて下さる温かさに、ホッとしたものです。
今まで何度も、情けなくなって音楽から逃げ出したくなることがあったけれども、今でも私が音楽と共にいられるのは、ファーカス先生の優しいお人柄と励ましのお言葉があったからでは...と思います。

「cheese」の愛称は、実はファーカス先生に呼ばれていたものなんです{%うれしいwebry%}
私に出来ることは、とてもとても小さなことですが、私に力を授けて下さった方々に、感謝とご恩返しの気持ちをもって、音楽に携わっていきたいと思います。

長文におつきあい下さり、ありがとうございました。
cheese