ひとりで海外旅行に行けますか?


自分は行けます

実際、今まで行ったうちの

半分以上はひとりでした



単にいっしょに行く人がいない

というツッコミは言わないように



もちろん

知り合いと一緒に行っても

楽しいことはたくさんあります



でも

ひとりだからこその醍醐味は

なにものにも代えがたいものがあります


その本質は

謙虚な大胆さ

でしょうか


ふだんの生活の中で

否応なく作られ、かつ、作った

自分という枠から解放されること


それによって

本当の自分、もしくは、新たに作った自分に

なれること


しかし、基本的には

自分の生活圏ではないし

外国語に堪能なわけでもないので

相手に対して素直になれること


相手と意思を通じ合わせるために

一生懸命になれること


自分の

やりたいこと、見たいもの、食べたいことを

自分の意志と責任で主張すること




日本に帰ってくると

少なくとも一週間は

疲れ果てると同時にハイテンションになります





紙の匂い

この世に人間が現れてから

いったいどれ程の人々が

生まれて、死んでいったのだろう


何千億人?

何十兆人?

それとも、もっと?


そのひとりひとりの

日々の暮らし

喜びや悲しみ

目にした景色

耳にした音は

どこにいってしまうのだろう


そして

人間以外の

さまざまな生物の想いも



これらは

いつまでも存在し続けるはず


たぶん

これらが

宇宙を膨張させている原因だから



手に取って確かめることはできなくとも

感じることはできる





紙の匂い

思い返してみると

自分のこれまでの人生で

新聞を切らした期間ってない


いちいち

気にすることもないほどの

生活のテンポになっている



そんな新聞について

最近

気になることがある



ひとつ


昔に比べて

休刊日が多い


労基法やコンプライアンスや組合などで

休刊日を設定しているのかもしれないが


生活のテンポ、リズムを

乱されることは

なによりもストレス



もうひとつ


記事に

思い入れが多い


その記事を書いた記者の

意見や感想が

時にあからさまに

時に言外に感じられる


新聞には

社説という欄があるのだから

意見や考えは

そこで表明すればよく

記事には

ありのままの事実のみを記してほしい



どちらにおいても

「報道」ということの特殊性が

薄れていると感じる


「報道」とは

今、現実に起きてる事象を

人に伝えたいという

モチベーションの発露ではないのだろうか


それなのに


休刊日があるとは!


自分の意見を表明したいのであれば

週刊誌や作家でどうぞ!


「報道」という特権性へのプライドはどこへ



もちろん

自分は

新聞に書かれていることが

すべて「真実」であるとは

さらさら

思ってはいないが