先日、とある式典で「優しい」(やさしい)という言葉について面白い講話を聞きました。「なぜ『羊』に『大』と書いて『美』になるんだーっ!!Why Japanese people …」と、ちょっと前に流行ったジェイソンさんとか、使い古されたよくある、「儲かる」の「儲」は「信じる者」と書くとか、…そんな話ではありますよ。

 

でもね、悪くない話です。さらに、そこに”くま”なり物事の捉え方の癖というか、”ひねり”を加えて紹介します。

 

 

 

■ 「優」の文字に隠されたもの

 

そんなことは知っていますよね。「憂い」ですよね。「憂い」に寄り添う「人」ですな。「やさしいひと」というのは、人の悲しみや心配を我がことのように感じて寄り添う人のこと。いいですねぇ。

 

 

世の多くの女性たちが恋人や伴侶を選ぶときに「優しいひと」であることを条件に挙げます。心配事とか悲しいことに寄り添ってもらって大切に扱われるってことですかね。しかも、「優」には「すぐれた」とか「まさる」という読みと意味もあります。世の女性たちが「優しくて優れた人」を好むのはあまりにも厳然として残酷な指向性ですね。優れたDNAと結ばれたいという一族の繁栄を求める本能でしょうか(むろん、何をもって優れているとするかの選好の違いと、”相性”があり、実際その指向が実現するかは別ですが)。あ、むろん男性も女性に「優しい人」を求めますけれど、いろいろと迷う人が多いな。そうそう、「俳優」の「優」でもあります。なんとなく格好いいですよね、「優」の字は。

 

さて、人偏(にんべん)にこの旁(つくり)の「憂」は3000年前くらいから古代文字として存在しています。こんな感じです。

 

 

右手の3000年前のは何やらカワイイですね。人が頭に何かを巻いて、右手をあげているような絵です。この象形文字が何を表しているかというと、ハチマキを巻いて祈っている様子だそうです。鉢巻は髪を隠す装束で、その意味は「喪に服している人物」となります。鉢巻は喪章なのです。

 

左手の2200年前のものは、ちょんちょん(髪)のない「首(顔)」です。つまり、鉢巻で髪が隠されているという意匠が変化しています。首の下に、デフォルメされたおちんちんのような形がありますが、これは「心臓=こころ」を表し、周りが身体です。「憂」は、「愛」の「爫」が「首」に入れ替わっている古代文字です。

 

「愛」の上部の「爫」は「つめがしら、つめかんむり」と習った方もいらっしゃると思いますが、じつは「愛」の字については「つめがしら」ではなく、「旡」(キ)という字が簡略化されたもので、後ろを向いた顔を表しているのだそうです。「夂」は足を表しています。「憂」が喪章である鉢巻をした様(さま)、「愛」は顔が向いた方向に心が奪われている様(さま)というところでしょうか。

 

(愛)

 

成績の「優」や「優勝」などは晴れがましいですし「優越」となれば強さも感じる。「優しい」は温かい、柔らかなイメージです。「優美」、「優雅」は上品で、洗練された印象が伺えます。ですが、そこには「憂い」があって、悲しみとか心配事、思うようにならず辛く苦しいことなどの意味です。そして、それは死者の喪に服す人で示されている。「優」の字には常に死者の存在が前提となっています。

 

そして、愛する人、大切な、かけがえのない人を失った「人」がいます。その悲しみだけでなく、残された人に生じるすべての心配事も含まれていたでしょう。そんな人に寄り添う人がいるという情景が文字になっています。なにやら涙腺がゆるみます。”やさしさ”や”すぐれる”という意味の奥深さを垣間見ることができます。
 

古代文字を知ったおかげで、「優」の字をみる目も「憂」も見る目も変わります。特に「憂国」なんて。世の女性たちの求める「優しさ」がこれだとすると、深い。深すぎる。

 

…聞いた話というのは、この辺までだったのですが、この話だけでも「優」の文字の成り立ちをスルーして生きて来た”くま”には十分です。ですが悪い癖で、さらにひねります。え、面倒臭い?、まあそう言わずによろしければ、もうしばらくおつきあいの程を。

 

 

 

 

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■ 「俳優」の「優」の意味

 

前出の通り、「俳優」という言葉があります。役者をこむつかしく言う印象の言葉ですね。いまどきなにやらセレブな権威がありそうな。ここにも「優」が使われています。この「優」は、やさしさや、すぐれている、ということを直接には意味しませんが、古代文字に由来する話があります。「優」は「わざおぎ」とも読み、さらに別の意味があります。その意味は、「神を招(お)ぐ態(わざ)」です。


「俳優」の「俳」を漢和辞典で引くと「たわむれ、おどけ」とあります。音読みは「ハイ」で、訓読みは「たわむ(れ)」、そして表外読みに「わざおぎ」があります。他にも「妓」、「伶」、「倡」は「わざおぎ」と読みます。「俳」がおかしさで、「優」は悲しみ。「俳優」というのは、演技として、おどけて見せたり、泣いて見せたりする人たちのことを言うようです。「俳」も「優」もそれぞれ単体で「わざおぎ」と読みますが、喜と悲を並べ、つまり喜劇俳優と悲劇俳優を一緒くたに、「わざおぎ」と読ませています。日本書紀には、 

 

「則ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)をもち,天石窟戸(あまのいわやど)の前に立たして,巧にわざおぎす(巧作俳優)」

 

…とあり、「俳優(わざおぎ)」が出てきます。そのわざおぎは「面白おかしい技を演じて,歌い舞い,神や人の心を和らげ楽しませること。また,それを行う人」(Weblio)となります。天岩戸のシーンでの「わざおぎ」は、「俳」ですね。ちなみに「俳優」の文字は紀元前220年頃の先泰時代で確認されています。俳優も「泣き屋」と同列にするとなにかアレですけれど、そうした人々の悲喜の演技は、神を招(お)ぐ態(わざ)」であり、神々に奉納するものでもありました。

 

脱線しますが、三波春夫氏の「お客様は神様です」と言うのは、目の前にいる人々がお客様なのではなく、「神様」こそが「お客様」で、自身の芸は常に「奉納」のつもりだったと言います(あえて勘違いを誘発するレトリックだったのかも知れませんが)。祭禮のときに神社で行われる舞や器楽の演奏は、すべて相手は神々なのです。我々人間はそのおこぼれに預かっている。客の立場になると「神様」扱いを要求する人々がいますけれど、アレですな。

 

さて、「優」のわざおぎの方は、どうやら「泣き屋」、「泣き女」(なきおんな/なきめ)、「哭女」にも通じているそうです。弔いの場で、雇われて大声でわんわんと泣いてみせる人たち。確かに、喪に服す人に寄り添う人々です。

 

そして、この「泣き屋」は恐ろしく古くからある。シナ、朝鮮のものと思いきや、ヨーロッパでも中東でも、そして日本でも習俗としてありました。しかも相当古い。古代エジプトの壁画でも存在が確認されていて、中国では、儒教の「礼記」(紀元前770年頃)よりも前から。旧約聖書(紀元前500年頃)にも。そして日本では神話に伝わる泣沢女神(なきさわめのかみ)、魏志倭人伝、日本書紀、古事記にそれらしき人々が出てくる。世界共通の存在だったようです。泣き屋は、死者への馳走であり、悪霊祓いの儀式でもあったそうです。俳優の起源だという説もあります。「優」の字の成り立ちをみれば納得がゆきます。

 

「優」の文字は、「喪に服す人に寄り添う人」から字義通り、気持ちの上で寄り添うような精神的、あるいは「気持ち」を表す抽象的な言葉である一方で、「わざおぎ」のような演技という「形」や「様式」を表す、つまり「役者」を表す、どちらかと言えば具象的な意味があります。日本の昔の泣き屋は、「五合泣き」、「一升泣き」と、報酬で得られる米の量で泣き方が変わったと言いますから、即物的という方が良いかもしれませんね。

 

そうそう、重要なことがあります。この「優」という文字を生んだシナでは、この字を「やさしい」という意味で使われていないようです。優秀(优秀)、優越(优越)と「優れた」、「優る」の意味には使われるのですが。

 

他のテーマでも「次回」が溜まっていますが、以下、次回とします。

 

 

<参考文献>

ゴッド先生の古代文字案内「ラジオ第13回「優しいという字について

白川フォント

 

 

 

Stuff, "And Here You Are"(1977)

 

Richard Teeのローズ、レスリー・スピーカー付きのハモンドと、Gene Orloffのバイオリンが美しいバラッド。

おやすみ前にどうぞ。

 

 

 

 

Good Luck クローバー