支援者という関係 | 社会保障を考える

社会保障を考える

社会保障法の実現を目指して共同の可能性を考えたい

 

森昌子さんが引退されるそうだ。ラジオのリクエスト番組で「引退は寂しいですね」という

パーソナリティーの言葉に、リスナーは一度は引退されたことがありますからという反応があって、それも熱心なファンのありようかもしれないと思ったものでした。

 

認知症の人と支援者との関係を次のように整理していましたが・・・・。

 

「障害や異文化の問題との共通性

 いずれ誰もが当事者になりうるという認知症の性質は、とても大変なことのようにも思 えますが、考えようによっては、非常に可能性を感じさせるものでもあります。 通常、当事者と支援者は、どれだけ信頼関係があったとしても、そのあいだには超えられない立場の遠いがあります。支援者は、当事者にはならないので、支援する/されるという関係がそこに生まれます。しかし、認知症の場合は、当事者と支援者は、いま認知症である人と未来に認知症になる人という、時間軸で連続的な関係になりうるのです。もちろん、現状で、認知症の人と支援者が、支援する/されるという関係を克服できているとは限りません。しかし、

少なくとも、当事者と支援者が連続的につながっていると、とらえられるということです。

最近では、認知症の当事者による講演会などでも認知症の当事者は、ちょっと先をいく先

輩であり、未来に認知症になる皆さんヘメッセージを送りますという言い方がされるようになってきており、徐々に、この連続性の認識が広まりつつあります。」(『認知症フレンドリー社会』)

 

簡単に言えば「やがて行く道」だからという視点があるのだということでしょうか。どうだろうか。自分が認知症になると思う人がそんなにいるとは思えないが。