朝崎郁恵の島唄再び、戦争は嫌だ | ネコに学ぶ・・うちにはいないけど

ネコに学ぶ・・うちにはいないけど

昭和23年生まれ。
太極拳を稽古したり、韓氏意拳を学んだりしています。
ヒモトレを知り、マンサンダルまで来て、
面白いことを探す毎日の忘備録

ネコはワガママに見える。

ネコは好奇心で動いてる。

そこが私と似てるところ。

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ときのこやへ行く前に、

タカキビ甘酒でショートブレッドを焼きました。

エゴマとカランツを入れました。

 

ヒモトレ友達の和子さんが、

お誘いくださって、

三田の弘法寺での、

朝崎郁恵のコンサートへ行きました。

三田の町で迷子になりながら、

(電車内は寒いほどの冷房でしたが都内は暑かった)

辿り着きました。

実は一度広島で、
原爆ピアノで歌う朝崎郁恵さんの島唄を聴いたことがあります。

今は亡き大森佳代さんの案内で行きました。

佳代さんを思い出しながら聴きました。

 

今日はお弟子さんの歌もありましたし、

湯川れい子さんも参加されてました。

 

湯川さんも言うように、

沖縄の言葉は分からないし、

激しいリズムでもなく、

印象的なメロディーでもなく、

伴奏の三線を聞いていると単調だけれど、

歌の向こうに渚やガジュマルの林が見えるような、

風が吹いてくるような気がするのです。

あ〜奄美に行きたい。

 

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嘉義丸(戦時中アメリカ潜水艦の魚雷で沈没)の歌には、

(朝崎郁恵の父の作詞)

涙が流れました。

突然の攻撃にあっという間に浸水した船の乗客の、

親子がお互いを呼び合いながら亡くなっていったのです。

想像するだけで苦しいです。

親はどんなに辛かったか、

子供は親を求めて泣き叫んだことでしょう。

これって市民を攻撃した戦争犯罪なのに、

当時は戦意を下げないためにという理由で、

戦後は占領軍の意向に沿わないからと言う理由で、

新聞報道もされなかったのだそうです。

なんだか今と同じ状況のような気がします。

報道は誰かに不都合なことは報道しないのは、

いつものことなのですね。

そしてだれかの都合に合わせた報道は作られるのです。

 

朝崎郁恵さんと湯川れい子さんは同じ88歳だそうです。

湯川さんが、

「岸田さんは改憲して戦争をしようとしてるけれど、

戦争は絶対嫌です」

と言うのを聞いて励まされました。

二人とも戦争経験者なんですね。

戦争で亡くなった何万人の兵士は、

どこかの母の息子たちです。

 

この後、

湯川さんの作詞の「きずな」を手話付きで、

会場の人皆んなで歌いました。

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電車の中で、

この本を読み始めました。

時系列が整理できてないのですが、

私は学校で近、現代史を学んでません。

そして、

ウクライナのことも今だけ見たら分からないことを、

馬渕睦夫のYouTubeで知りました。

マイダン革命を見ないで、

ロシアを責めるのは歴史を見ないことだと思いました。

一回では理解できなさそうですが、

今の日本、自分の場所を知るために、

必要な学びだと思うのです。

歴史の教科書に書かれているのは、
時代の一面を勝った側から書かれているのだと、
つくづく思いました。

 

夕飯は今日もささやかな一汁三菜です。

この幸いを噛み締めました。

にしても、
今夜の夫の炊飯は少し水が多かった。
(でもありがたくいただきました)

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同じような毎日、

でも、変わらないものは無い。

又明日も何かを見るから書きます。