ネコはワガママに見える。
ネコは好奇心で動いてる。
そこが私と似てるところ。
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私にママ友という存在はとても少ないけれど、
その中のお一人の訃報を少し前に受け取りました。
最後にお会いしたのは、
私が神戸へ尋ねて行き、
神戸港の海を見ながら、
互いの息子の苦労の様子を話した時です。
みちこさんの息子さんが音響で、
うちの息子が照明で、
中学生の頃から、
自由の森学園のイベントを創っていました。
上京された時、
お話したり、
展示会にお邪魔したり、
(染色や織物をされる方でした)
偶の邂逅を楽しんできました。
りかさんが逝って、
よしえさんが逝って、
本当にお世話になった方が少なくなってしまいました。
みんな私より若い人です。
自分の時間がおまけ時間になったんだと実感します。
空蝉があちこちに見られます。
セミは土の中の暮らしは長いけれど、
外に出てきたら1週間の命です。
セミの個体ではなく、
種を残すための時間になっているのです。
春に小さかった柿の実が、
随分大きくなってきました。
まだ食べられません。
時間だけが仕上げていきます。
これは地ウリだと思っているのですが、
まるできゅうりのような実が1日おきくらいに一つ採れています。
葉っぱは暑さに萎れていても、
実(その中の種)を付け続けています。
これも、種の保存の力です。
生き物は、
有限な命を預かって、
次の世代を育てて、
生き切っているのです。
私は自分の命をどこまで生き切れるだろうか?
お金とか、
名誉とか、
外からの評価ではなく、
目の前の自分の仕事を、
ゆっくりでも良いから、
丁寧にやっていく、
長く生きるでもなく、
最後まで生き切る、
そうではないかなと思うお盆の日でした。
千切りキャベツを切った時、
切れ味が落ちてたので、
包丁を研ぎました。
最近、荒砥を使い始めました。
確かに刃ができます。
その後、中砥にもかけました。
切れ味が上がりました。
川越のまちかんで教えてもらったように、
滑らせて切るようになったら、
音がしなくなってきました。
こういう小さなことに、
丁寧に向かい合っていこうと思うのでした。
(私のは只鈍いだけかもしれない)