精霊の守り人は毎週楽しみに観ているが、さる国の暗殺事件が起きてから重なってならず妙に怖いし不安感にとりつかれている。
この不安感はドラマとあの国の陰惨な事件によるものちうより、我が家の近隣に起こっている現実に対してなのだ。
難しい問題を含むことなのでここでは書けないが、このままでいいわけのないことで、行政がしっかりと問題を把握してそれなりの対策を立てるべきことだと思うのだが、これがさっぱりで町に暗黒が覆っている気がするくらいなのだ。
書けないと言ったが、私はじかに独りで確かめに行った。
近くにかって新鮮農作物の売り場だったという小屋にかなりの人数の外国人が住まわれるようになったのだが、その小屋のまわりの森がガンガン切られて土が掘られていってるのだ。
役場に訊いたら、土地の所有者が自分の土地の木を切ろうと掘ろうといいのだ、という。そこで、失礼と思ったが、「あなたがたが木を伐り土を掘っている土地はあなたがたの所有ですか」と訊いたのだ。その森は、春になるとまるで湖水が顕われたとうな青草に覆われ美しく、大きな木々には鳥の巣がここかしこにある。鶯もその森で歌う。
すると、所有者の名前も知らないと言われるではないか。
私は、無断でこの見事な森を壊していくのはいいことではないですよ。役場できちんと問い合わせてみたらどうでしょう、と言った。
そして私にとって大きな気がかりは猫や犬のことなのである。地域の当番の人が、別の場所だがやはり外国の人たちが多数で住まわれたところで、それまでいた猫や犬がみんな姿を消し、庭に繋がれた犬のロープがはうzされていなくなった、というのだ。
これは根拠のない無責任な作り噂であるかもしれない。結構どうしようもない作り噂で他者を痛める人はいる。だから、騒ぐつもりはないのだが、ある気がかりなことを実際感じ、それに役場が無関心であるなら、誰かが言っておかなくてはならない。
そこで私は言った。
「私が気になったことがあるので言うのですが、日本では、犬や猫を殺したら犯罪になります。そのこと、誰かに教えてもらっていますか?」
こういうことは疑いをうやむやにしておくのはよくない。思い切って言った。
「日本では、犬や猫は食料ではないのです。少なくとも私は、そうされていると知ることがあったら黙っていないです」と。
こうした件に関して、日本のこの地方はまことに悲しい。
日本人に話しても、「昔はみんな食べてたよ」と笑って言う。他者の森を荒らしてもそこに鳥の巣があるとしても、問題にするほうがおかしいというぐらいのものだ。
こうした体質をほとほと感じて、妙な不安に付きまとわれているのだ。
私はこういう町で要介護4の認知症の夫を守って20年を暮らし、言葉に尽くせぬ孤独を味わい私なりの闘いを続けてきた。殆ど誰とも接点も持てなかった。
愛護の原点はやはり、町の人々ひとりひとりの胸に慈しみの灯をともす努力を忘れないことだと40年を経てもなお思う。
なんてことを言うが、実際の今、私は本音を言えば、うちお猫たち、犬たちと、森の猫たち、倉庫に居ついている猫たち、そして継母を連れて、こんな町を出ていきたい。
せめて一人でいい、慈しみの共感を持てる友のいるどこかに行きたい。
自分のこうした言いぐさもまた傲慢で浅はかではあるがこの町を去りたい。
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ドラマの感想を書くつもりがめんどうくさい愚痴ぼやきになってしまった。つい気を晴らしたくて。晴れないけれども・・・・。