昨日は継母の介護関係の話し合い | なぜぼくらはおいていかれたの 

なぜぼくらはおいていかれたの 

地球はみんなの星 猫も犬も大きな動物も小さな生き物も人間も 心に感じる思いをまげず ゆうゆうとのうのうと生きる星 

昨日7月8日(火)は、継母がお世話になっているショートスティとディサービスのそれぞれの施設の担当の方と、ケアマネさんが我が家来られ、継母と私も入って会合。
ケアマネさんがこれからの一年間の目標と具体的な予定を立てて下さり、これまでの状況と照らしながら、こうしていきましょうか、ここは気をつけましょう、と話し合うのだ。

プライドが高く、勝気な継母は、自分のことを他のみんなが主導して決めていくのが気になるのか、面白くなさそうな表情になって私を見るのが気になったが、私には有意義な話し合いになった。
さまざまに介助が必要な暮らしは、漠然と続いていくのは結構オモダルイ。
一つ目標を立てていたり、ポイントを把握しておくのは前に進みやすいと感じるのだ。
だから、暑く皆様お忙しい中集まってこうした話し合いをして下さったことに感謝である。

それにしても、昨今の私の心身の疲労は激し過ぎる。
とてもいいと思ったこうした話し合いでさえ、終わったあと身体を縦にしていられないほどしんどいのだ。
一般的な家事と介助、猫たち犬たちを置いているもともとの自宅へ一日最低3回通い世話、9匹の犬の散歩、そして二階の一室ですくすくやんちゃになっている三匹の子猫の離乳食やミルクや排せつの世話・・・これを休みなく一人で繰り返し、二週間ごとの福島行き・・・カッコのつけようもない疲労の集積である。

私は本当は頑強なわけではない。
子供の頃からひ弱で医者からはどこでも「長生きできない」と祖母が告げられ、そのおかげで異常な過保護で育てられ、まったくもって根性がない。

それでもこうして一般的には普通でない暮らしをしてこれたのは、ひとえに根底にある楽天性、言葉を変えれば抜けているからだ。
実際ほんとに肝心のことの成長がない人間だ。

だから、あれもこれもそれもかれも、賢い常識人なら耐えられないだろう種々諸々のことをぼさ~っと乗り越えられてきたのに違いない。

まぁいいか、こうした落ちこぼれヌケサク人生を悔いたことはないから。


・・・なんだこんな流れになった今日の日記、実際はキューイ中毒らしい自分に気がついて、キューイって中毒する?と書きたかっただけなのに。
継母がキューイが好きだというので今朝のサラダにキューイを使ったのだけど、その後胃が鉛になったようになってしまって、午後は継母の内科検診があるのに『行くのいやだなぁ』と思っているのだ。

一か月前ぐらいに二回胃痛に襲われ、二回目にどうもキューイが原因らしいと気付き、気をつけていたのにそれを忘れてこの始末だ。まったく。