2024年4月1日(月)
旧暦2月23日 赤口
乙未(きのと ひつじ)
十二直 さだん
潮回り 小潮
正午月齢 21.8
正午月相 20.0
↓あ、「寿司食いねぇ」箸しよつてる初蝶が ももこ流
回転寿司といえば、あたしンちでは「スシロ"ー1択でした✨
今日、お寿司ランチしてきましたよっ♡(> ਊ <)♡
回る回転寿司はもう古い💦
一貫も回らなくて回っているの💦
どうゆうこと💦
はま寿司のレーンオーダーは
バーチャル上のレーンを回転する寿司の画像をタッチすると
注文画面が出現してオーダーできる形式です
「回るタッチパネル」といった感じで
従来あった注文用タッチパネルの進化形ともいえますよっねっ!
注文した寿司はただちに厨房で握られ、テーブルに直送「疾走」するレーンで届けられます
“回るタッチパネル”が最強すぎる
ネット上では
「回転レール風タッチパネル、未来感パない」
「色々面白い体験できそう」「考えた人天才すぎるだろ」
「ワクワク感と食の安全が両立できて最高」など
絶賛する声が多数あがっています
ネタ普通にちっちゃかったけど・・
今日のおまけ
桜の開花便りに誘われて朝日山再訪
「小学校の頃一度、遠足で訪れた記憶があります」
朝日山は、JR網干駅のすぐ北の標高わずか88mの小さなお山です
この朝日山は、「播磨国風土記」の大法山(勝部岡)に比定されています
「大法山(おおのりやま)。今の名を、勝部岡(すぐりべのおか)という。応神天皇が、この山で大法(重大な法令)を発した。だから、大法山という。今、勝部岡というわけは、斉明天皇の世に大倭(おおやまと)の千代(ちしろ)の勝部らを遣わして田を開墾させたところ、この山の付近に住み着いた。だから、勝部岡と名づけた」
朝日山公園に駐車して
播磨平野には、お椀を伏せたような小山がいくつも点在しています
これらの小山をつくっているのは、丹波層群の堆積岩、あるいは白亜紀後期の火砕岩類です
朝日山は、後者にあたり、山全体が総合公園として整備され各方面から
大日寺に向かう遊歩道がつけられています
和久山と朝日山のコルにつくられた、桜が植わってる朝日山公園駐車場は結構広いですね♪
1979年に姫路市の緑の十景に指定されていていますよっ !
うららかやたんぽぽばかり朝日山公園(季重なり)
左方向は御本堂広場への舗装されたつづら車道です
「あ、桜さくらサクラ何櫻」
いざここから
右側の登山口(以前の山道を擬木の階段に)を登ると一気に山門(仁王門)へ
「でも、階段の段差が足腰に負担がかかります」
盛時には30余の坊舎が建ち並んでいたといわれています
「靴を脱いで中でお参り下さい」と張り紙がしてあって
ろうそくとお線香をお供えして(ニ拾円を浄財)
格子戸から御本尊の千手観音菩薩様、毘沙門天様や水神様を拝観して
広場の南東隅には、鐘楼があります
「鐘を撞かないで下さい」の張り紙がありました💦
この鐘楼から、正午と午後5時に鐘が鳴り響きます
ゴーー〜んン~~♬ゴーーー〰〰ン♬
♬ 夕焼小焼で日が暮れて
山のお寺の鐘がなる
お手々つないで皆帰ろ
烏と一緒に帰りましょう
(思わず口ずさみたくなりました)
本堂の右手に不動堂、その奥が厨房があります
千手観音ふれて老桜よみがえり ももこ流
大日を迎え幾年椿咲く
かの山や楚楚として咲く初桜
本堂の左側には室町時代の十三重石塔がありますが、何故か現在は十一段しかありません💦
戦火あり大日の空さくら咲く
その左手には結構珍しい新しそうな、涅槃仏がいらっしゃいます
チョッと他よりピカピカすぎて違和不破感が
そのまた右上奥には、龍野城主赤松政秀の寄進したと伝えられる
五智如来石仏が祀られています
西に阿弥陀 東に阿閃
中央が大日如来で
南に宝生
北に不空成就如来が鎮座されています
やわらかな春の日差しを浴びて、どちらも優しいお顔で瞑想されていました
春風を纏ひて山の五智如来
少しゆくと、石段があって鳥居が二重に立っています
確か、二基目の鳥居さんに、小学校の頃
小石を放り上げてお願い事をしたような・・・
石段を上がりきると小さなお堂の歓喜天があります
その右隣りにの宝篋印塔の辺りが
88m標高点の朝日山山頂らしいです
でも、今回は石段の下からお参りしました💦
道すがらにも、西国三十三か所巡りの石仏
書写山 法華山 松尾寺( ^ω^)・・・
ちっちゃな石仏さまがいく体もいらっしゃいました
帰りは車道を下り、朝日山公園の駐車場まで戻ります
石仏の慈顔にはらり山桜
••まだまだつづきます
靴ひもを直して気付く小さき蝶
観音さんやさしく静かに山笑ふ
山桜っぽい四季桜ぽい桜が「お帰り」と、お出迎えしてくれて
東屋まで下りて来ました
あ、子ども連れ一行が・・・「いってらっしゃーい」
やっとこさ、最初の車道口です💦
ああ、ブランコ漕ぎって、何処でも何時も楽しそうですよっ ねっ
朝日山公園のソメイヨシノは
未だ 2、3分咲きでした
↑いつも下手くそをありがとうございました
あとがき
『朝日山歴史的展望』
伝承によれば、朝日山の合戦は三度あったというが、それぞれの戦における兵力、戦況などの実態は不明なところが多い。戦国時代の播磨は、守護赤松氏と重臣浦上氏が抗争を続け、播磨武士は否応なく両者の戦いに翻弄されざるをえなかった。やがて浦上村宗は主君にあたる赤松義村を謀殺して、播磨から備前を支配する戦国大名となった。
村宗が摂津の戦いで敗死したのちは、赤松政村(晴政)が守護職に任じたが、村宗の子である政宗や宗景らとの対立、抗争が続いた。さらに、出雲の尼子氏が播磨に攻め込むなど赤松氏の支配体制は動揺を続けていた。
中世、播磨における浄土宗布教の中心となり、大日寺も浄土宗化、山麓には西信寺三十六坊が立ち並んでおおいに繁栄したという。数度の朝日山合戦において寺院は焼亡、大日寺は真言宗の寺院に復し、西信寺は朝日山山麓を離れて現在は浄土真宗本願寺派の寺院として続いている。諸行無常、めぐる時間は一定の姿をとどめることはない。( Webサイトより引用)
アレンジメントやブーケによく使用されるグリーンの葉っぱ"レモンリーフ"
ひょっとして釣鐘型の可愛いお花が咲くかも