先に発車する「スーパーまつかぜ」が前述の理由で遅れたので、その後に続く「やくも」も遅れて入線。
自然振り子式の特急電車・381系。
「リバイバル塗色」ということで、往時の国鉄の塗装です。
JR化後は各社それぞれの色になってしまったのですが、これはうれしい。
381系の登場は50年前、この伯備線の「やくも」への投入は40年前で相当に古いですが、それでもJR化後に国鉄車両を置き換えるために登場したJRの新型車両すらどんどん老朽化で引退していく中、ここまで国鉄型の車両が主力として定期運行されてきたというのは驚嘆に値します。
ワシは鉄ちゃんではないのでよく知りませんが・・・
そして485系や183系は何度も乗ったことがあるのですが、この381系は一度も乗ったことがありません。
381系はこの「やくも」が最後で、今年の春に定期運行から引退してしまうので、それで乗りにきたのです。
いっけん485系と同じような外観をしていますが、振り子車両ということでいろいろ工夫されています。
屋根の上にはクーラーなどがなく、車体断面も洋梨のように下膨れしていて、徹底して重心を低くされています。
もともと貫通扉・非貫通扉の先頭車がありましたが、この先頭車は中間車を先頭車に改造したもの。
ワシは鉄ちゃんではないのでよく知りませんが・・・
国鉄時代は特急も急行も長大編成で運行本数が少なかったものですが、時代の流れと共に本数を増やして編成両数を減らすようになっていき、そのために先頭車に改造された中間車がけっこうありました。
ワシは鉄ちゃんではないのでよく知りませんが・・・
車内はちょっと薄暗い。
半世紀前の車両のため、近年の車両より窓が小さいせいだと思っています。
近年の車両は眺望も考慮されて窓が大きいですからね(新幹線は別)。
ワシの確保した座席。
ここだけはしっかりリサーチして、岡山行の先頭車は8番・10番が窓枠に邪魔されないことを確認していたから。
381系は古い車両なので座席の間隔が狭いのですが、アコモデーション改装の際にシートピッチを広げたのですが、そのせいで窓枠と座席がズレてしまいました。
なのでひどいと真横が壁ということもあるのです。
ちなみに壁にダクトが通ってる場所は、1人がけの椅子になっています。
さて。
例の線路内人立ち入りのせいでしばらく米子に停車したせいで、発車前にいろいろ車内外を見ることができました。
で、13分遅れで米子を発車。
さようなら、おそらくもう来ないであろう米子・・・。
山陰本線から別れて伯備線に入るも、先ほどまでと似たような風景です。
次第に山の中に入りますが、この辺りの山はみんななだらかで、信州のような険しさがありません。
このあたりは地形的には老齢で、長年の風雨に浸食されたのでしょう。
さて、この381系にわざわざ乗りにきたのは「乗ったことがないから」ですが、多くの人が酔うという「自然式振り子」が本当にヤバいのかを体感するためでもありました。
ワシはもともと乗り物酔いがしやすいため、格好の実験材料です。
そのうちやくもは、日野川を越えたり並んだりしながら南下していきます。
昔の山越えの鉄道は川に沿って敷かれた、ということが実によくわかります。
さて、自然振り子の揺れによる乗り物酔い、不快感はどうかというと・・・
問題なし
でした。
最初は少し身構えていたものの、全然不快感がありません。
近年の愛称である「ゆったりやくも」ならぬ「ぐったり吐くも」なんていう蔑称もあるようですが、この乗り物酔いがひどいワシで大丈夫なので、もちろん揺れはありますが、吐くほどではありません。
それより運転の苦手な人の車の助手席に座るほうがよっぽど酔います。
といっても揺れることは揺れるので、トイレに行く時には座席の方にある手すりにつかまりながらでないと無理だし、トイレでもけっこう大変。
しかし今日もいい天気。
車両が古いせいか窓がうすぼんやりと曇っていて、それが残念です。
途中でどこかの峠を越えたのか、それまで流れが逆だった川が、今度は同じ方向に流れるようになりました。
こんどは高梁(たかはし)川となって倉敷まで同行します。
しかしさすがローカル線とは異なる幹線、どこまで行っても人家は途切れません。
次第に都会さを増してきました。
あとはすっかり街の景色になり、倉敷を経て岡山へ。
岡山に到着すると、多くの方々が写真を撮っていました。
こちらは当初からの先頭車(非貫通タイプ)
ああ、いかにも「特急列車」然とした風貌に塗色。
この塗色ばかりの頃には少年だったワシは乗れず、大人になった頃にはもうほとんど存在しなくなったとは・・・
さようならJNRマーク。
さて、ワシは鉄ちゃんではないのでよく知りませんが、岡山は交通の要衝です。
山陽本線のほか山陽新幹線は当然として、いま乗ってきた伯備線の特急も行き来するし、吉備線、津山線というローカル線の始点です。
その他私鉄もあるし、特に30年前からは瀬戸大橋を越えて四国に向かう特急や快速群も岡山から発着するので、実に賑やか。
鳥取に行く「スーパーいなば」と「やくも」。
四国へ行く特急と快速。
で、ここから乗るのは山陽本線の普通電車。
かなり以前に横須賀線でお世話になってから振りの、113系です。
このように転換クロスシートになっていました。
ここから東に向かいますが、この113系のモーターの音は実に懐かしい。
ちとめんどくさいのですが、途中の駅でまた普通に乗り換え、姫路に向かいます。
今日はもう特急には乗らず、となると車内で駅弁なんて食べるわけにはいきませんが、かといって途中下車する時間もないので、姫路駅のホームにあった立ち食い蕎麦屋へ。
いや確かワシは天ぷら蕎麦を頼んだはずだが・・・これはうどんだよな?
いやうどんにしては細いか・・・つゆは蕎麦だ、麺は・・・これ、中華麺だ!
後で調べると、この姫路駅の蕎麦はそばのつゆに中華麺を入れたものだそうで・・・
スミマセンこれはこれでアリかもですが、今のワシは日本蕎麦がよかったの・・・
もちろん日本蕎麦といいつつ半分以上小麦粉な蕎麦が多いのは分かってますけど・・・
姫路からは、泣く子も黙る「新快速」。
でもワシ的にはもう見たことある景色なので、お昼寝タイムです(スンマセン)。
なので写真もなし。
途中、昨日も通った子午線のある明石の手前「西明石」では、40年前に機関士が飲酒状態の寝台特急「富士」が減速せずホームに激突したという事故がありました(幸い死者はなし)。
このニュースはリアルタイムでTVで見ていて、よく覚えています。
その2年前には寝台特急「紀伊」が名古屋駅で機関車つけかえの際にやっぱり機関士が飲酒・居眠りをして客車に激突したという事故がありました。
この頃の末期の国鉄は相当に体質が腐っていて、これらのありえない事故の連続は、分割民営化に対する否定的意見を完全に消し去ってしまったかもしれません。
さて、そこそこ都会の景色の中を「新快速」は快走し、ほどよく昼寝もできて、気づいたら京都を過ぎていました。
で、草津(温泉じゃないほう)で下車します。
さあ、名古屋はすぐそこだ!
(つづく)