鉄分補給 | ちょんまげインプの部屋

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今後ともどうぞよろしくっす。

(以前、ちょんまげのついたインプレッサに乗っていたのでこんなタイトルです)

ワシは決して鉄でもなんでもないですが、先日こんな古本を買いました。

「懐かしの国鉄列車prat3(1980~1986)」

当時の鉄道ジャーナルの、特に北海道方面の列車の試乗記事がまとめて載っています。

 

驚いたのが、今はもう廃車が近づいていそうなスラントノーズの183系の、なんとデビュー直後の記事。

この頃の道内の優等列車は、まだ札幌中心でなく、函館を基本に各地に旅客を運ぶ役目をはたしていたので、↑の画像で函館駅に「おおぞら(183系)」、「おおとり(80系)」、「宗谷(56系)」が並んでいるというのも驚きですが、おおぞらが滝川経由でえんえんと釧路まで行くというのもまた驚き。

この時はまだ石勝線が開通してなかったのか・・・

 

そしてこの、札幌から山線(倶知安経由)で函館まで行く、DD51が引く旧型客車の普通列車。

今は小樽から長万部まで全通する普通列車すら希少なのに、この頃は札幌から函館まで乗り通せる普通列車があったなんて。

9時間もかかったのか・・・。

もっともこの記事(85年)の翌年に、ワシも18きっぷで山陰本線でドアすらない旧型客車に長時間揺られた記憶があります。

旧余部鉄橋を通過するとき、デッキから下を覗き込んでタマタマが縮みあがったものです。

乗り通すのはかなり苦痛を伴ったでしょうが・・・

 

それからこの80系「おおとり」。

網走から函館まで10時間強!

 

しかしこの当時すでに「オンボロ」と形容されていたことや、在来線の昼行特急としてはすでに食堂車がほとんど絶滅していた中、この「おおとり」ではまだ健在だったことなどが分かりました。

・・・食堂車!

その昔は急行列車にまで連結されていた、長時間の旅程には必須だった走るレストラン。

しかし列車の性能の向上あるいは運行路線の短縮により到達時間が早まったこと、あるいは人的もしくは設備的コストの削減により、次々と消えていきました。

しかしこれこそ、鉄道が持てる最高のサービスなのではないでしょうか・・・。

 

 

他にも14系客車の急行宗谷、利尻、天北など、中学~高校時代に乗りまくった列車の試乗記がテンコ盛り。

他にも九州のキハ58系急行「火の山」の試乗記がありましたが、この記事の掲載されたジャーナル誌は当時すでに読んでいました。

↑86年8月号。

(キハ58系の特集があったので購入し、18きっぷへの旅へのきっかけとなる)

 

 

ああ・・・

ワシが鉄の旅に初めて出たのは中学2年。

その頃すでに国鉄は末期で、各地に夜行の急行や快速・普通列車が走っていましたが、確かに車両の設備も古臭く、本数も少なく接続も悪く、このトシになると乗り続けるのが嫌になりそうなものばかりでした。

でも、鉄路の旅で思い起こされるものは、この80年代や、あるいは親に連れられていて記憶もあいまいな70年代の情景ばかり。

やはり幼少の頃の記憶というものは、知らず知らずのうちに身体に刻み込まれるというわけか・・・

 

しかし、素晴らしい雑誌でした。

あの頃、一時期親父が買ってくれた「鉄道ファン」も、捨てなきゃよかったなあ。

 

 

ああ、タイムマシンがあれば・・・

(そんで、今もってるエロ本と当時の鉄道雑誌を交換する)