仕事の朝一の打合せが終わり、ホッとして入った喫茶店の僕のテーブル隣、窓際の席にご高齢の女性が三人。

片側はベンチシートだが、反対側は椅子二脚の4人がけシート、テーブルの片側は大きな窓になっている。

会話が聞こえてくる中で、どうやらご主人を亡くされた方がベンチシートの窓側に座り、まだ御存命の奥様方がベンチシート通路側、椅子席の窓側に座っている。

ベンチシート通路側の奥様が、散々ご主人の愚痴をこぼしているのを2人は、わりとテンポの良い相づちで、時折笑いを交えながら聞いていた。

愚痴が一段落すると、同じくベンチ側にかけられているご主人を亡くされた女性が、でもね、と話を切り出した。

いざ独りになると、食事がね、独りで食べるわけじゃない、と俯きながら話し始め、自分も主人が居る時はこんな気持ちになるとは思わなかったと言う。

そして年明けの出来事だった、と話を続けた。

私が縁側の窓越しから外を眺めてると、どうやら毎日同じ鳥が庭木に、長いと一時間以上、家の方を向いてとまってるの。

ま、虫を見つけると捕まえて飛んでっちゃうから、単純にエサを探してんのかなって思って。

でも、ここ2日間暖かいじゃない?だから縁側の窓開けて日向ぼっこしてたら、来るのよ、私の足元。1メートルも離れてないところに。怖がらないの、私を。

2日目も、凄く近くまで来たの。逃げないし、右へ左へ私の周りをチョンチョン、チョンチョンと。

私、何も考えてなくて、でも口から勝手に出たのよ。

ちょっと、おとうさん、そんなとこで…

そしたらピタッととまって。
私を見て。

どれくらいの時間か分からないけど、ずっと私の方を見て、そして飛んでいってしまったの。

今日は来なかったんだけどね、その鳥。

聞いていた2人はしばらく沈黙して、ただ頷いて、ふふっ、とご主人を亡くされた女性が優しく笑い出すまで俯いていた。

その後は三人とも時計を見て、もうこんな時間じゃない、と言いながら、私、主人のお昼無しって言って出掛けてきてるから、この後三人でショッピングモールに行きましょうよ、と車の鍵を出し伝票も持って席を立った。

すると、日本でよく見かける恒例の、いやここは私が、いえいえ今日こそ私が、何言ってんの私が誘ったんやからと、やり取りしながらレジに向かった。

不思議な気持ちで、彼女達が座っていた席の向こうの窓を見ると、そこには鳥が。

ぎょっとして、でも良く見た僕は思わず声に出した。

…置物かよ…脅かすなよ…

まだ1月なのに三月上旬の最高気温の予報が出ている日の、お昼近い午前のお話。
10)山科の戦い
先の御内書により、畠山高政征伐が可能となる予定よりも随分早く今川軍が迫っていたので、長慶は、やむを得ず高政の抑えに5千を残し何とか2万を率い、京の都に入る直ぐ手前、近江側にある山科という盆地の西側にある小高い200m程の山の連なりに鶴翼の陣を敷いた。

当然今川方にも先鋒の浅井軍が瀬田の橋を渡り始めた頃に、その知らせは届いた。

翌日、逢坂峠を越え山科に入った浅井軍は醍醐寺まで南下し、後続の今川本隊、六角軍を盆地に布陣出来るよう配慮した。

その結果、陽が南に高く昇る頃に今川方の布陣は、標高400m程の牛尾山を背に今川軍1万5千、逢坂峠を塞ぐように六角軍1万、南の宇治に抜ける街道に浅井軍が2千の総勢2万7千となった。

誰もがこの山科本願寺跡を挟んだ睨み合いが数日は続くと思っていたが、急報が三好軍に飛び込んできた。

『畠山高政を囲んでいた長慶の実弟、三好実休が湯川勢に挟み撃ちにされ討ち死』

…何だと…と長慶は声も出せない程の衝撃を覚え冷静さを欠いていた中、中央の本隊が敵の挑発に乗り、突出する格好で突撃を開始してしまった。

これを見た両翼の部隊もそれぞれの正面の敵に突撃を開始したが、海道一の弓取りと呼ばれた義元率いる軍勢に畿内の軟弱な兵が敵うまでも無く、一刻も経たず押し返され始め、一時は山科本願寺跡の土塁の内側に長慶の陣を落ち着かせる事が出来のだが、何と僅か2千の浅井軍が大奮闘の上、これを撃退、総崩れを誘ったのだ。

「こりゃ浅井賢政…どえりゃあ男よ。それから…と、信長様への土産は多い方が良えに決まっとるわな。」

そうつぶやきながら、勝鬨の響く中、利家は馬に乗ったまま義元の幕内に乗り込んだ。

あっという間だった。

後に「槍の又佐」と呼ばれる、その利家の朱槍が義元の首を打ち捨て、そのまま単騎、一直線に東へ駆け抜けていったしまった。










南に高く昇っていた筈の陽は西に大きく傾き、山科の空を薄い橙が染め始めていたのを、今川の雑兵までもが誰も見上げようとはしなかった。
9)湖南
義元からの使者への対応と、浅井賢政の抜け駆け従軍と、将軍からの御内書で、承禎にとっては悩ましい日々が続いていた。

三好長慶との力関係が逆転して久しいが、2年前に義輝を京に戻す事に成功して何とか体裁を保っていたところ、偏諱を与えた賢政が単独行動に出始め義元に従軍し、長慶はついに80万石を超えていて、近江一国の77万5千石を超してしまったのだ。

近江一国の石高には単独行動に出ている浅井家の湖北も当然含まれているので、賢政の単独行動により、その分は目減りしている訳で…。

この京に最も近い場所に位置し、歴代将軍を支えてきた源氏としての六角承禎のプライドは、足利将軍家の御一家である吉良氏の更に分家筋の今川家に対する嫌悪感も手伝って、なかなか今川家に返答を送っていなかったが、ここに来ていよいよ愛知川(えちがわ)を渡った今川軍に加勢せざるを得なくなった。

「1万出そう。そうじゃ、ほぼ直轄全軍じゃ。今川1万5千に対し我らは1万の大盤振る舞いじゃ。」

その頃、観音寺城下に向かう義元の軍隊の中を利家は先鋒を進む浅井隊の賢政と、なんと馬を並べて談笑していた。

「そうなんだわ、それがしの様な変わり者の主君なんだで、そりゃまぁ大変な変わりもんだでよ、信長様は。」

利家がそう言うと賢政は、いつかお会いしてみたいものだと笑みをこぼし表情を変えた後、賢政は近く六角家臣の娘を嫁にもらっているが、それを送り返し、正式に独立を宣言したいと漏らした。

「な、なるほど…まぁ、そんときゃ織田家を頼りゃあ。それがしが口添え致すゆえ…ぁ、それまでに信長様に帰参の許しを貰わねばならんかったわ…。」

一拍置いて、2人は目が合うと、大きな声で笑った。