8)将軍
三好長慶が河内飯盛山城に移った背景としては、ここもやはり義興に家督と本拠地だった芥川山城を譲ったという事だった。
京に近付いて来た形の長慶とは、今は和解しているように見えても、長年対立してきた凝りもある義輝にとって畠山高政の動きは歓迎される事であった。
その長慶は、本来であれば夏の終わり8月頃にでもと思っていたが、今川進軍の報を受けていた事もあり、畠山高政征伐の為、幕府奉公衆である紀伊の湯川直光に、三好方に味方するよう御内書の発給を求めてきた。
相当焦ってるな長慶。
そう思った将軍義輝は御内書として、湯川直光と六角承禎に宛てて送った。
確かに焦り気味だった長慶の目をかいくぐった御内書内容はこうだった。
『三好長慶を今川義元と共に、成敗‼️😆将軍より』