5) 西美濃
今川の軍船が大挙して伊勢湾を上り西美濃に上陸しようとしている知らせは、西美濃の斎藤臣下の武将たちに最大の警戒体制を敷かせるきっかけとなった。
ところがその中で一人、16歳の若い武将が甲冑も身に付けず義元の船に乗り込んで来ていた。
4年前の初陣長良川の戦いで、道三側についた父に従い、自らも義龍軍を退けた竹中半兵衛であった。
「童顔…」
そう思わす口からこぼした義元に眉をひそめる反応したのは、言われた当の本人半兵衛では無く、同乗していた岡部元信だったが、義元本人はそれには気付かないようで、続け様に半兵衛に質問した。
「高政(義龍)は、どうかね。」
あえて抽象的に聞いたが、半兵衛は逆に義元の腹を伺うように話した。
「稲葉良通殿は高政殿の伯父にあたり、その他、先の長良川では氏家直元、安藤守就も高政殿にお味方されておりましたので…西美濃におきましてはそれがしだけです。」
それだけで充分だった。
ふんと鼻で返事をした後「半兵衛、任せた。」と言った義元に、半兵衛は無言で頭を下げ菩提山城に戻り、その後兵を集めたが動きを明らかにせず、大垣城の安藤、特に曽根城の稲葉良通を釘付けにすることが出来、義元の先発隊は無事に養老から関ヶ原を抜ける事が出来た。
その後の本隊通過交渉の内部交渉役として半兵衛は義元側と連携して対応し、高政には織田攻めの際尾張上四郡の切り取り放題の約定で収める事が出来たのだが、翌年高政(義龍)は急死する事になる。