父がおかしかったのもアルコール、タバコ、ステロイド
精神科にかかってる人が利用するフリースペースの職員がアルコール+アレルギーの薬でおかしかったと言う事が分かった事で、家族で父の事だけ分からなかったのが分かった。
父は私と妹が生まれる前母と結婚したとたん母を毎日怒鳴り叩いていた。
母は確かに他人にも酷い言動をする。
母「愛のムチだと。同じ社宅の人にも、毎日恐ろしい声で怒鳴られてるんですね、と。ある時差し歯が飛んで、これ以上叩くなら離婚すると言ったら叩かなくなった」
私も妹も単身赴任の父が自宅に居る時は毎日1日中ちょっとした事で怒鳴られ叩かれていた。
いつもイライラしていて足はガクガク酷い貧乏ゆすり。
黙っていてもいつも恐ろしい顔で目つきも鋭い。
幼い妹を殴り続けた後「殴られて育ったんだ!」と言われたと。
私にも暴力、暴言の後ではなく「殴られて育ったんだぞ」
トラウマだけでは中々こうならないから分からなかった。
そして父は病院が大嫌い。
父は癌の余命宣告されても最期入院しても酷い言動、八つ当たりが酷かった。
死ぬ前日まで。
友人が義理母が亡くなる時「ありがとうね」と言われ全て許せたと聞いた時私の父の話しをしたら
「死ぬ時って謙虚にならないの?!」と驚いていた。
職員のアルコールで気付いたのだ。
父の実家は本家で農家だが凄い土地持ち。
離れがあり父の男兄弟はそこでアルコールとタバコを未成年の頃からしていたと。
父は14才の時から。
時代も緩い頃だし父の父も外では人格者と言われていたが家では暴力や色々あった。
(これは父自身も外では人格者で家ではと同じ事になってる)
だから父の母もアルコールとタバコを黙認していたのかもしれない。
未成年にアルコールとタバコを禁止してるのは脳が発達していないからだ。脳が正常に発育しない。
大学の時夏休みは実家で畑仕事ばかりしていたと言う。
母から聞いたが裸足で土を踏んで畑仕事をしたい。定年退職したらそうしたいと言っていたと。
父は人に会いたくない。
仕事で人に会って疲れるから休みの日は休ませてくれと話しかける母に言って家に居た。
話しをしたくない。
学生の時はリーダーシップを取り好かれていた。
同窓会は1度もいかない。
しかし皆は父に会いたくわざわざ電話をかけてくるが母が受け取り断っていた。
絶対どんな電話にも出ないようにしていた。
私がリビングのソファで寝ていた時電話がずっと鳴ってるが起き上がれずやっと起き上がったら父が電話の応対をして終わったら起き上がってる私に「出れるなら出ろ❗」と恐ろしい形相で怒鳴る。
自分には二面性があると母に言ったそうだ。
父は毎日晩酌とタバコ。休みの日は本当は朝から飲みたいが気を使い昼と夜にしていた。
適度に飲むようにはしていた。
飲むと機嫌が良くなり良く話す。母にばかり話しかけていた。
仕事の付き合いではかなり飲んでいた。
仕事で飲んで自宅に帰って来た時酷い状況になった事がある。
ある時家でアルコールを飲むと廊下で1人でがなりたてるようになった。
しかし癌の余命宣告をされ医者からタバコとアルコールの量を言われ父は自分がしてきた量と同じだと言ったが嘘のように父は静かになった。
外での量も気を付けたのだろう。
私は父の死後この本に出会い読んだ。
父は危なかったのだ。
アルコールには段階がある。
ホロ酔いから酩酊まで。その上がもう戻ってこれず命も先が短いアルコール依存性。
父は酩酊まで行っていた。
しかしここまでなら自分でアルコールを止める、減らすなどコントロール出来る。
父は絶対自分を誰にも見せないが酷い。鎧でガチガチ。
昇進しても母にさえ言わない。
仕事とお前らは関係ないといつも言ってた。
父は母にだけ唯一自分を見せられた。
母は薬で脳をやられていたから「絶対言ってはいけないと言われたんだけど」
と全て言ってしまうが。
病院嫌いの父だが私は思い出した。
父は皮膚が痒く市販のステロイドをお風呂上がりに全身に塗っていた。
祖母は医者の妻。強いステロイドだと知っていてステロイドが何かもある程度知っていたらしく「ステロイドを塗るのは良くない」と言ってると母親から聞かされていた。
祖母は私が小3で亡くなっている。
一体いつから使っていたのか?
ある時そのステロイドが発売されなくなり強い物だったから他のが効かず怒っていた。
それからは保湿クリームを使っていた。
脱ステをして大変な想いをする人が世の中に沢山いるが父はそんな事はなかった。
止めたのは私が中学生以降。
いつかはハッキリ覚えていない。
しかしステロイドは体内から中々出なく長期間体内に溜まり続ける。
あるステロイドの副作用の一部(添付文書)
多幸症、不眠、鬱、脱毛(←父は腕に全く体毛がなく自分で薬だと言っていた)精神変調症(←1日中抑うつが持続し長期間続く、不適応感、過敏症、怒り、引きこもり、興味の喪失、活力減退、生産性低下)
父に思い当たる事ばかりだ。
アルコールは世の中で最も毒性の強いドラッグと現在言われている。依存性もある。
私が出来る事はした!
アルコール+アレルギーの薬の職員の事が分かったが自分1人では何も出来ない。
私は地相が未だに仕事をしてるのは分かっていた。まだ私はそこの利用者で私の担当だからだ。
私が外出中地相に声をかけられた。
普通だった。
だから私が発熱した時体温計が壊れていて地相に電話してみた。
「事務所にあるのではかりましょうか?今から持って行って」
相変わらず優しい。
しかしあの額でピッとする意味ない物だったから断った。
「物価高になって今いくらするんだろう」
と独り言を言ったら
地相「3000円はしますよ」
私「はっ?!」
ネットを見たが脇ではかる体温計はそんな値段はしない。
やはり頭が働かなくなっている。
しかし私は以前地相にこの職員の相談をした事があり地相はこの職員に何度も会っていたから私は思い切って地相に電話で話した。
地相はアルコールの問題を抱える人と沢山関わってきた言う。
私は本を読むからそう言う本にぶち当たってきたと。ネットでも見たと。家の父が危なかった事。
私「アルコールを飲んでる人はどの薬も飲んではいけない」
地相「まあね」関わってるだけで全く分かってない❗
オステオパシーの医師にも職員のおかしいと言う所を話しアルコールとアレルギーの薬の話しをしたら「薬物中毒」と言った事も伝えた。
私「地相はその職員がそう言う所気にしてると言ったけど出来ないんでしょう?自分がコントロール出来ないんでしょう?アルコールは脳がやられるんです。危険です。素人には手に負えない。でもアルコール無しで仕事が出来るならまだ間に合います」
ここで1度電話を切りフリースペースの所長に電話で話した。「緊急の話しですが時間ありますか?」「5分なら」手短に話したが「私は何をしたら良いんですか?」
何故私に聞く。
そして自分の部下だろう。
それより大事な仕事って何?
所長もアルコールが好き。行きつけの居酒屋やフェスにも行く。そして毎日じゃないと言ってたが睡眠薬を使ってる。
アルコールの危険性を全く知らない日本人。勿論意図的に知らせないのだ。海外の人は日本人のアルコールの飲み方にびっくりする。コンビニにまで置いてあり買って外に出たらすぐ飲む。
ストロングゼロまで出しアルコール依存性が爆発的に増えた。それでも規制をかけないのも意図的。
地相に又電話
「所長に話し通じないです!」
私は体験者であり専門的な事も分かりやすい(上記のピックした)本が近くの図書館にあると言った。
地相「明日会う時にその本を進めましょうか?」
何故私に聞く。
私「進める、、う〰ん」と言い悩んだ。地相が何か言って
私「そうです。中毒の人は中毒と認めません!」
地相「私が読みましょうか?」
何故私に聞く。そうですねと言った。
明日職員に会った時どうするかまで私が悩み考え話した。
地相も所長も何もかも受け身で全てしている。
アルコールの人に関わって来た?アルコールについて全く知らないじゃないか。
所長もアルコール飲んでいるのに自分の事が他人事だから人の事も他人事だ。
自分から目をそらしている。
私はとにかく自分がやれる事はやった❗
向精神薬の解毒でどれほどの劇薬か身を持って体験
私はレメディを使ってるが解毒の好転反応が酷すぎる。
今日は朝起きたとたん胃液吐きまくり。
意識朦朧、体が痺れ痛い、倦怠感で1日中ベッドの上。
1日中胃液を吐きまくる。
水を飲むのもしんどい。
食事など出来ないし何もできない。
耐えるのが辛すぎる。
どれだけ劇薬なのか、体内に溜まっていたか嫌ってほど知る。
それでも解毒しなければ回復などしない。
口の中も苦い。
これは脳から向精神薬が解毒しているからだそうだ。
しかし断薬して1年以上経つとそうなるらしい。
私は完全断薬してないが口が常に苦く重曹で口をゆすぐ。
オステオパシーの医師に好転反応の対処法を聞いた。
備長炭を入れた水を飲んだり、備長炭を入れたバスタブに浸かる事と言われたが昨日探したが近くに売ってなかった。
今日はネットで調べ購入する事も出来ない。
自分を含めジャンキーだらけ。
意図的にストレス社会にし辛いと休むと言う事が悪い風潮にされ自分を後回しで手っ取り早く辛さを無くす薬へ誘導。ストレスでアルコールへ誘導。
国など上からの指示に従ってるだけの捨て駒。
今の首相は用無しになった後の事を考えてるか?と思うほどなさけない