こーれーはー……難しいかも | かょぼ~のトリコチロマニア・ダイアリー

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全国の悩める心因性抜毛症の乙女ちゃんたち(>_<)四十路を8個過ぎたリアルトリコチロマニアで精神科通い歴40年のかょぼの繰り広げるあっかるいテトテト・ぼのぼの毎日で笑って怒って叱って泣いてください。




はて、何をどこからどの様に書き出せばよいのだろうか……。

鈴木大介さん、原作の小説の文庫本『里奈の物語 15歳の枷』と2巻にあたる『里奈の物語 疾走の先に』

先ず、真っ先に書いておきたいのが、まだコミカライズの『アンダーズ❬里奈の物語❭』全3巻や原作を読んでいない、買ってもいない…って方への私の独断と偏見による
オススメな読み方。

先にコミカライズ版『アンダーズ❬里奈の物語❭』全3巻を一気に読み切って、それから原作小説である『里奈の物語』を後から読み始める。

これなんでかっていうとですね。
まあ、1つはマンガの方が取っ掛かりやすいってのがある。
マンガを先に読んで自分のなかで『あーこういう内容の物語で最後はこーなるのかー』とネタバレさせておいて、
『え、でもさぁ…なんかちょっとモヤるっていうか。なんかところどころ抜けてる感じがして物足りない』

と思ったら‼

そこで原作を読むのです。

そうすると、実はマンガの方にはたくさんの伏線が散らばっていて、その伏線回収がすべて原作小説で出来るから。
その上でもう一度、マンガを読むと『あーこの場面って原作のあの場面からの続きだったんだ~』とか、マンガでは敢えてサラリとしか触れられていなかった、里奈の生い立ちや里奈の育ての親である伯母の幸恵ねぇ、幸恵ねぇの実の娘の比奈、3人を側で見守り支える志緒里ママ…その後に起きる様々な事件や出来事、里奈の施設入寮。
そこで出逢った里奈の後々の支えとなる先輩の実鈴さんや大親友の貴亜。
他にもたくさんの出逢いや出来事があったのを踏まえて読むと、また違った見方も出てきて、もう一度原作を読み返して…みたいな?

繰り返していくと面白さが増します。

あくまで私の独断と偏見による読み方ですが。

ただ……マンガ→原作→マンガ→原作…と繰り返していくと、正直言って苦しさも伴います。

特にマンガ『アンダーズ❬里奈の物語❭』に入る前の物語が小説、文庫本でいう『里奈の物語 15歳の枷』に当たるんですがね。

最初はどんな風に始まって、どうなっていくの?!…って気になるから読み進めていけるんですが。

一通り読み終えて、かなりキツかったでした。

原作小説の『里奈の物語 疾走の先に』からはマンガとなぞらえながら、原作とマンガの表現方法の違いを見つけてみたり、原作では本当はこんな人間関係の繋がりがあったのか、あ、でもマンガではこう表現してるのね…とそれぞれの良さを比べて楽しんでみたり…ってのが出来て面白かったんですよ。
マンガの方に出てくる❬ホストタタキ❭の回は原作に入りきらなかったエピソードを漫画化したボーナストラック的なオリジナルストーリーだし。(←そしてこのホストタタキ編は私の大のお気に入り)

でも、原作の『里奈の物語 15歳の枷』は読めば読むほどに苦しい、辛い。

目指すゴールは里奈の家族みんな同じのはずなのに。
ゴールに辿り着くまでの通ろうとする道が全員がバラバラなのね。
最終に辿り着きたい場所は同じなのに、辿り着くまでの道のりは、みんなそれぞれ違う行き方を選んでる。

違う行き方=違う生き方ってことなんだけど。

だからこそ、大切に思う相手を傷つけたくないのに傷つけてしまったり、大好きな大切な存在なのに意地もあって互いを否定しあってしまったり。

大切な家族を守ろうと守ろうと必死になっていたら、いつの間にか道を踏み外して間違った方向に行ってしまったり。

その中でも里奈は必死にバラバラになりかけてる家族を1つに戻したい、守りたいと思うのに。

『15歳の枷』

文字どおり、子どもだから出来ないやれないことが多すぎて葛藤して絶望して、でも諦めない。
何かやれることが自分にも絶対にある!…と必死に生き抜くのが、里奈という女の子。

頭の回転もいい、ビジュアル可愛い、『女である』ことを武器に生きていく様は、思わず椎名林檎ちゃんの歌、
❬歌舞伎町の女王❭が頭のなかに流れたのは言うまでもなく。

なんですが。

そうさね…私が30代半ば位までに読んでいたならば、間違いなく感情移入するのは里奈一辺倒だったかもしれない。
否、激推しキャラはやっぱり原作も敵役のサクラさんなんですけどね。

でも、今の私の年齢で読むと、育ての親である伯母の幸恵ねぇにも感情移入してしまうし、見守り続けているスナックの志緒里ママの気持ちも痛いくらいに解る。

はっきり言って、私はこれまで子どもを産んだこともなければ、育てたこともない。
だからどうしたって保護者目線にはなれないし、どうしたって子ども目線にはなってしまうけれど。

それでも、これでも一応は47歳ですから。
世間の世知辛さは、それなりによく解る。
これでも一応は精神科通いも長いしね。

自分の親の夫婦不和故の愚痴も対等に聞くことが出来るようになってる年齢だからこそ、子ども育てるのも簡単なんかじゃないことも、経済的に厳しい中で親が自分の子どもに向き合い育てていくのがどれだけ難しく、余裕が失われていくのかも、やっぱりとてもよく解る。

うちの母親が正にそうだったからね。
経済的余裕があって、精神的余裕もあって、ちゃんと自分自身や子どもと向き合えていつでも笑顔でいられるような環境で育っていたなら、今ごろ私の抜毛症も抑うつ症もとうの昔に治っているだろうよ。

否、今だって両親に苛つくことも、ため息つくこともあるわけですが。

でも客観的に見れば、親の葛藤も辛さも苦しみも理解位は出来る。
そーゆーお年頃になってしまってますから。

だから、『15歳の枷』は読んでてキツかったわ。
育ての親の幸恵ねぇの焦りも葛藤も分かるから。

それでもまだ10代半ばの里奈の子ども故になにも出来ないという、悔しさややり切れなさや無力感にも同様に共感を覚える。
それは少なからず私にも経験はある感情だから。

それでも暗闇の中を手探りでとにかく動く、行動する、やると決めたら命を賭けたゲームを逃げ道塞いで進めようと突き進む里奈には感服しきりです。

でも……ちょっと里奈のことは心配な部分がある。

ネタバレになりかねないから詳しくは書かないけど、
私から見て、『里奈は独りでは生きては行けない子』なんじゃないかな。

っていうのは、里奈は良く言えば情に脆くて家族思いで友達思い。
大切な存在の為なら自分が犠牲になることすら厭わないほどに、守ろうとする。守りたいと思ってしまうような女の子。
時には命を懸けてまで。

だからこそ思う。
この手のタイプの人間は独りでは生きては行けない。

そう、『自分に甘え、頼ってくれる存在』があって里奈は自分が生きる意義を見出だすタイプ。
それがなくなると、途端に気力が萎えちゃうんだよね。

そこをものの見事に見抜いてピンポイントで突いて破壊させて里奈に大打撃を喰らわせたサクラさんもまたお見事としか言いようがない。

流石は『悪意の天才』です。

でも、私はサクラさんが仕組んだことが100%悪いとは思わない。

里奈が10代のうちに『頼ってくれる存在』を2度も失った経験をしたのは、将来の里奈にとっては良かった事だとも思う。(←1度目は家族、2度目は援デリ仲間)

早いうちに挫折と失望感と『なんだ、私がいなくてもみんななんだかんだやっていけんじゃん…』と喪失感と寂しさを経験しておけば、先行き同様のことが起こっても、免疫が出来てる分、切り替えも出来るからね。

その上で更にサクラさん。
原作の中で凄い指摘を里奈にしてた。

ここだけは抜粋してもいいかな。

『お前勘違いしてると思うから言っとくけど、親と一緒に暮らしてるとか、学校にきちんと通えてるとか、そういうのとそいつが生きてんのが地獄かそうじゃねーかは関係ねーから』

『むしろ、殺してぇぐらいの糞親だけど一緒に暮らさねえとなんねーやつなんか家出のやつよりももっと地獄じゃん。親がいねえやつの方がまだマシかもしれねーし、学校で半殺しみたいな思いして、それでも逃げられねぇやつだっているっしょ。お前がぶった切ったやつの中にも、そういう子もいたんだってこと。わかれよ』

まあ、どういったシチュエーションでサクラさんが里奈にその話をしたかを知りたい方は是非!原作小説を買って読んでくださりませ。

泣いたぞ、この件は。

でもでもでも。

この鈴木大介さん原作の小説も山崎紗也夏さんのコミカライズ『アンダーズ❬里奈の物語❭』は、本当にいろいろと考えさせられる。

アンダーグラウンドな物語は大好物ですが、これはただのアングラ物語じゃないです。

今回は敢えて、他の登場人物の話は外しましたが、また別の機会に書けたらいいなと思います。

あー、またマンガの方のアンダーズの3巻、読み返そうっと。

ではでは、おやすみんみん。

稚拙な読書感想文で申し訳ござらぬ。
でもマンガも原作も激推しですので、是非とも読んでみて下さりまし!